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圧政と殺戮の象徴である「風呂」

人類が生み出した最も忌まわしい発明品。
それは風呂である。
風呂こそはまさに、核をも凌ぐ圧政と大量殺戮の象徴として機能してきた負の遺産である。

風呂の歴史は古く、古代の四大文明でも公衆浴場という形でその姿を伺うことができる。
だが勘違いしないでもらいたいのは、風呂の発明は元々権力者の嗜好から生まれたものであるということだ。
最近の研究では、古代の風呂は釜茹での刑のために用いられたものがほとんどであり、民衆にとって風呂は恐怖の象徴であったことが判明している。
熱く煮えたぎった風呂に大量の罪人を投げ込み、もがき苦しみ死んでいく様を高みから眺めるのが、時の権力者の娯楽になっていたのだ。
イギリスでも、19世紀半ば頃まで公開処刑が庶民の娯楽となっていたが、あれも同じ発想から来ている。
風呂というのは、自分が入ってくつろぐことを目的に生み出されたものではない。
他人に無理強いをし、苦しむ様を楽しむことを目的に作り出された、圧政のための拷問道具としてその生を受けたのである。

この傾向はこれまでの人類の歴史を見ても垣間見ることができる。
古代ローマ帝国の公衆浴場もまた、罪人の公開処刑場として活用され、その処刑に際しては周囲が見物客で埋め尽くされ、また皇帝さえ立ち会うほどの盛況ぶりだった。
フランス革命も、元々は当時のブルボン朝が庶民に風呂に入ることを強要したことがその原因であるとされている。
かのマリー・アントワネットも「風呂がダメならシャワーを浴びればいいじゃない」という迷言と共に庶民に風呂に入ることを強要し、民衆の憎悪と怒りを買ったのである。
当時のブルボン王朝では、庶民に風呂を無理強いすることが王侯貴族のステータスシンボルであると信じられており、滅亡に至るまでその信念を捨てることはなかったのだ。
風呂に入ることを他者に強要する。
これが風呂の持つ最低最悪の要素であり、人はこの要素に常に魅了され、道を誤り続けるのである。


近代に入り、風呂が大衆化されると、風呂を他人に無理強いする魅力に一般市民までもが取り憑かれるようになった。
そのはけ口は主に抵抗しない子供に対して向けられ、泣き叫ぶ子供達を力づくで風呂に叩き込み悦楽を覚える親達の実態が社会問題化した。
現在でも、親の子供に対する虐待の1位に「風呂を無理強いする」がランクインされているほどに、親の風呂に対する執着が深刻を極めているのだ。
人類の歴史に常に暗い影を落とし続けてきた風呂。
その無限ループを、いいかげん断ち切るべき時期に来ているのではないだろうか?


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