山本弘トンデモ資料展
2004年度版4−F


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No.17790に関するスレッドです

ザ・イアイドー / にま庵 引用

「超常現象と日常現象」の続きをどうぞ。
#個人的に興味がある話題だったので、僭越ながらスレ立て権を行使させていただきました。

で、素人の素朴な疑問。
なぜ、竹刀剣道に居合い術が取り入れられなかったのか?

居合いが「実戦的」であるなら、竹刀剣道のルールの方を、居合いでも戦えるように変えなかったのはなぜか?
「鍔から先に手をかけても、居合いの構えを取る限りは反則にならない」とルールを変え、「反り」のある竹刀(なんてもんが作れるのかどうかは別として)とそれ用の鞘を許可する……ということに、現状なってないのは何故なんでしょうか。

「剣道の現状がそうなってない、だから居合いは実戦的じゃない」というのが、鰻田さんの主張と思われます。
それに対して、「居合いが実戦的じゃない」ことの根拠を「剣道がそうなってないから」とすること自体が間違っている……というのが、他のみなさんの主張かと。

確かに素人から見ると、竹刀剣道も居合道も、「刀を振るって相手を倒す技術」なのに、なぜ竹刀剣道の中に居合道を組み込もうって動きが、未だかつて起こらなかったのか……というのが、素朴な疑問としてあります。
今の竹刀剣道と居合いの相性が悪くて組み込めない(道具やルールの違いで)なら、道具やルールの方を変えればいいんじゃないのかなー、と。

「相撲が本当に実戦的なら、なぜ柔道のルールの中に相撲の技が組み込まれないのか、組み込まれないからには相撲は柔道より実戦的じゃないんだろ」と言ってるようなもんかも知れない(苦笑)。

No.17790 - 2004/03/17(Wed) 16:58 [101.suba401.attnet.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / くむ 引用

>にま庵さんへ
反りの付いた竹刀というのは存在します
が、竹刀の構造上それに合う鞘というのは相当苦労するでしょう
今の樹脂技術を使えば中結いや先革、弦等を一体化させて、鞘を作成する事自体は可能だと思います。
でも、出来るのは抜竹刀術とでもいう語呂も悪げな間抜けな技でしかなく、居合の抜刀にはなりません
抜刀だけの問題では無く刀で斬るのと竹刀で打つのは全く別の技術になってます
繰り返しになりますけど、剣道の試合で勝ちたければ剣道をやれば良いんです、そこに居合の素養が生きるかもしれませんし、そうでないかもしれません
剣道の試合で居合の素養が全く生きないとしても、そのことと、居合が実戦的でない事には何のつながりも無いのです
むしろ、剣道家の探究心の末に真剣の扱いを学ぼうと居合に入門する流れが普通でしょう

No.17793 - 2004/03/17(Wed) 17:50 [PPPax170.tokyo-ip.dti.ne.jp]

ジ・イアイドー / スズメ [関東] [ Mail ] 引用

>なぜ、竹刀剣道に居合い術が取り入れられなかったのか?

名刺の裏に書けるほどに要約すると、居合というのは刀を抜くための技術です。

戦場での敵は遠間からはっきり目視できるのですばやく刀を抜く必要はまったくないし、腰にした竹刀を抜いて構えてから試合が始まる剣道の試合でも刀を抜く特別な技術は必要ありません。

いくらあらかじめ刀を抜いていたほうが有利だといって、四六時中抜き身の真剣を提げて歩くバカは滅多にいません。 当然のことですが普段は鞘に納めています。
その『普段』から『非常』である斬り合いに至る際、刀を抜くモーションは致命的な隙になりますから、そこをいかに隙なく素早く戦闘体勢になるべく刀を抜けるかという技術が居合術なわけですよ。
ゆえにいつ非常事態が訪れても対応できるように変な局面で刀を抜く稽古もしているわけです。

おそらく格闘技おたくであろうと思われる鰻田さんは、多分フルコンタクトKARATEあたりがやった『非実戦的神秘武術を斬る』とかそういうのがやりたいんだと思いますが、それをやるにはあまりに周辺知識が足りなさ過ぎます。 また、芸風としてやっているのならしつこすぎます。 こんなことで赤札食らうのもばかばかしいとは思いませんか。

No.17796 - 2004/03/17(Wed) 21:23 [m005233.ppp.asahi-net.or.jp]

Re: ザ・イアイドー / ウル 引用

>今の竹刀剣道と居合いの相性が悪くて組み込めない(道具やルールの違いで)なら、道具やルールの方を変えればいいんじゃないのかなー、と。

 実戦的かどうかという論点なので、こちらを踏まえますね。
 当たり前ですが、稽古は実戦のためのものです。このため、稽古で変な癖をつけては本末転倒です。
 で、前のスレでも答えましたが、実際の居合いをシミュレートできるような竹刀を想定しましょう。

・まず重量があること……居合いの場合、刀の重量を利用する側面が大きいため、現実と同様の重量は不可欠です。
・しならないこと……居合いで切るのは、非常に精妙な技術です。しなりに対応するような癖をつけては下手になるだけです。
・鞘があること……これは上でも答えているとおりですね。

 さて、「重量があって」「しならなくて」「鞘のある」竹刀は……お分かりでしょうが、もう竹刀になりません。
 ただの模造刀です。

 逆に実戦的というのを外してみれば、あってもいいかもしれません。スポーツチャンバラに現代技術を駆使した居合い術の竹刀があっても面白いでしょう。
 ですが、そういうものがあってもなくても、「実戦的」であるかどうかにはまったく関係ないですよね。

>「相撲が本当に実戦的なら、なぜ柔道のルールの中に相撲の技が組み込まれないのか、組み込まれないからには相撲は柔道より実戦的じゃないんだろ」と言ってるようなもんかも知れない(苦笑)。

 これはいいたとえですね。
 実戦的であるからこそ、型稽古でしか学べないものも多いのです。
 これは居合いに限りませんが。

No.17799 - 2004/03/17(Wed) 21:34 [p24052-adsao01daikai-acca.hyogo.ocn.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 市川 引用

にま庵様
 >相撲が本当に実戦的なら〜柔道より実戦的じゃないんだろ
 私が言いたかったけれど見つけられなかった一言は、これでした(笑)。つまり・・・・
 竹刀剣道では、竹刀を使う。
 居合では、真剣を使う。
 この、決して覆らないルールがある以上、根が同じ武術であっても両者は別物ではないか、ということです。使用する物が一撃で相手を負傷させられる真剣か、傷を負わせない竹刀かで、戦いの組み立てが全く異なり、当然、有効となる技も違う。現行の竹刀剣道と比較して居合が実戦的かどうかの答えを出そうとするのはズレているのではないか、と。
 もともとが真剣の使用を前提とした実戦稽古だとしても、「今の」竹刀剣道は、前スレでじぇりー様がおっしゃった通り精神鍛錬と人間形成が目的で、鰻田様の意見にあるような、真剣を用いての殺し合いの技術を磨くことではありません。その気が無く竹刀剣道を鍛錬しようとも、それは責められることではないのです。


 
  
 

No.17805 - 2004/03/17(Wed) 23:18 [f4client241.across.or.jp]

Re: ザ・イアイドー / 常磐城 [地球外] 引用

私よりも遙かに知識の濃い武術オタさん達が、発言するようになってほっとしてます。
(かなりいたんですね〜♪)
面白いスレッドになりそうで期待大です。

もうあまり私の知識量で入れるところはなさそうなので、
あまり発言はできなさそうですが、
(畑も違ってますし)

実戦とルールと試合に関して、ネタが一つ。
私の先生の知り合い(昔共同で研究していた方)が、
中国武術の防具試合に出たそうです。
実戦では超・強いのに、負けました。

一つ目。
相手の面を掴んで捻ってずらし、見えなくしておいて、
相手をボコボコにしたら反則。
その人のコメント、
「実戦でこんな面付けているやつがいたら、そうするだろ」

二つ目。
相手の防具の中に指突っ込んで振り回して倒して、
相手をボコボコにしたら反則。
その人のコメント、
「実戦でこんな(以下略)」

三つ目。
相手の防具の隙間を狙って打ち込み、
相手を悶絶させて戦闘不能にしたら反則。
「実戦で、効かないような場所に向かって打ち込んでいくやつがいるか?」

こわいのは、この人、何も研究しないでその試合に出て、
もっとも効率よく相手を倒す方法を、その場その場で瞬間的に判断してやった、という事です。
生き残るために、瞬間的に相手を倒す方法を判断して実行できるのなら、
その人がやったのは、まごうことなき『武術』です。

試合と実戦を考える上での一つの例として。

No.17808 - 2004/03/18(Thu) 00:14 [ntaich087048.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ぺいりあん(palien) [近畿] [ Mail ] 引用

くむさん
>ちなみに
>>それに居合いの抜く技術の中で一番重要なのは相手に錯覚を起こさせる技術です
>という考え方には賛成出来ません、錯覚は錯覚でしか無く、ネタ明かしがされたら役に立ちません。

そうですねぇ・・・錯覚っても色々とやるらしいんで。勿論、充分な準備をした試合とそうでない突発的ないざこざでは較べられない訳ですが、種明かしをされても判らないし、出来ないというまでの技術があります(現在の我々は「それ」を理解できるだけの智恵がありますが、当時はそうではなかったし)。そういう秘伝は他に明かされないし、使う時はどちらかが死ぬ時みたいな感じですからね。技術的な錯覚に精神的な錯覚、視覚上の錯覚、人間の反射行動の逆手を取るなどなどです。

ロディマス・ごんべいさん

>相手が反応できないような動きで欺くから、攻撃が決まる。

勿論、理屈が判っても誰もが出来る事じゃないのですが。先ず簡単に「死角から攻撃を加える」というのが一番初手ですよね。でブラジリアン・キックと言われる途中から攻撃の軌道が変化する技というのもそうです。佐々木小次郎の「燕返し」もこの理屈。柔道の切り替え技なんかも「相手が反応できないよう」に動いている訳です。

そういうのを見えない形まで研ぎ澄ましたのが達人の技であるというオタク談義なんですわ。

>特殊な立ち方、歩き方をマスターすることで攻撃が当たらないようになる。という話が、どうしてもピンときません。

そりゃそうだ。常磐城さんが仰っているようなのは「自分の重心位置を自由に扱う」事で素早く反応し、かつ通常では有り得ないレベルで力を扱うという技術です。

逆で説明しましょう。常磐城さんも書いてましたが、通常の我々は「無意識」で身体が揺らいでます。たとえば右側に重心が寄っている時に左側へ素早く反応する事が出来ません。無意識なので「それ」が判らないんです。逆に重心位置を自分で把握できれば、最速で動ける。という話ですね。あと達人の先生に身体の振幅を大きくされた。という事は、先生は他人の重心の動きが見えている訳です。そのレベルの達人になれば相手の重心が後ろに揺らいでいる時にスッと近づけます。相手は為す術もなく近寄られてしまいますね。

>劇的に効果の出るようなモノなのでしょうか?

一番、簡単なのは「アッ!」と叫んで在らぬ方を向く。相手が釣られている内に何かする。というのがあります。「はじめの一歩」というボクシング漫画でもやってましたが。とある合気道の達人は視線誘導と足捌きだけで相手を振れずに倒したとか言う話が伝わってます。宮本武蔵なんか獣のような雄叫びを上げ、唸り声を出して脅す事で相手の戦意を削ぐなどしたとか。

>全身の力を抜き、殴られても痛くない〜殴られ方があるという話を、どこかで聞いたことが〜

アントニオ猪木の「風車の理論」ですか?(⌒▽⌒) 違うな。これ判りません。

>格闘技の防御というのは、積極的に相手の攻撃を受けとめる。もしくは避ける。

「いなす」とかもあります。受け流しですね。攻撃を受けるにしてもインパクトをズラすとか、避けるにしても「交差法」といってカウンターを喰らわせる方法もあります。

No.17812 - 2004/03/18(Thu) 03:01 [zaqd387218a.zaq.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 常磐城 [地球外] 引用

ロディマス・ごんべいさん

>興味深くこのスレッドを読ませてもらっているのですけど、
>相手が反応できないような動きで欺くから、攻撃が決まる。
>特殊な立ち方、歩き方をマスターすることで攻撃が当たらないようになる。という話が、
>どうしてもピンときません。

ぺいりあんさんに続いて、
「そりゃそうだ、私だってわかんないままに負けてるんですから」

ところで、ロディマス・ごんべいさん、
地球外出身の私は(笑)、地球には航空力学、という特別な理論があると聞きましたが、
それをがあると、飛行機という名前のでっかい鉄のかたまりが、空を飛ぶという話を聞くんですが、
今ひとつピンときません。
本当に飛ぶんでしょうか?

確かにネットの私の知り合いに、沖縄まで飛んだという体験をした人がいるんですが‥‥‥

>全身の力を抜き、殴られても痛くない〜殴られ方があるという話を、どこかで聞いたことが〜

一応、私の先生は、『あくまで宴会芸として』
これをやります。(そんなにだらだらに力は抜きませんが)
やり方は、
私より30キロも軽い先生を、私が両手で思いっきり押すのを、片手で涼しい顔をして、受け止めているって言う芸もやっていますが、
それを、パンチのスピード相手にやらないといけないそうなので、
先生ですらかなり神経をすり減らすそうです。
いっぺん練習会で、私達学生も、練習しやすいようにラリアート相手にやってみましたが、
出来ませんでした(先生‥‥当たり前だってば)

昔、スポーツセンターで練習していたとき、
横で格闘技団体が練習していたんですが、その練習内容、
後輩が、片膝をついた姿勢で、上段受けの体勢でいるところを、
先輩が思いっきり踵落とし!
ぐしゃ、と後輩がつぶれたら、先輩は、
「根性が足りん!」
それを見ていた私の先生は、
「それ以前に、物理的に無理だと何故気づかん?」
と小声で突っ込んでいました。
私が、先生だったらどうします?、と聞いたら、
「普通に避ける、当たり前だろうが」
と、私をあきれた顔で見ました。
つまり、武術的に、『あきれた質問』なんですね。
宴会芸的に、受け止める方法、有りますか、とでも聞けばよかったのかもしれませんが、
先輩からは、
「あれは『練習』じゃなくてただ相手を壊してるだけ、先生は『後輩に教える立場の人間が何をやっとるんだ』って言いたかったんだと思うよ」
とも聞きました。

No.17816 - 2004/03/18(Thu) 08:10 [ntaich051221.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]

前スレッドの発言への返答です / ジス [関東] 引用

>鰻田社会科雄さん

>  まともな反論もあるものの、下らないイチャモンが多いなあ、と感じますなあ…。

 ちょっと聞き捨てなりませんね。鰻田社会科雄さんには「まともな反論」と「下らないイチャモン」が有るように見えているというわけですね。そうまでおっしゃるなら、どれがその「下らないイチャモン」であるかを具体的に指摘してください。そうでなければ少なくとも鰻田社会科雄さんから見ても「まともな反論」をしている人に対して失礼ではありませんか? 自分の発言が「くだらないイチャモン」呼ばわりされているかもしれないのですから。

>  最後に
> >剣道や居合に限らず、長い歴史のあるものに対して異議を唱える際には、
> >もっと謙虚になられたほうがよろしいかと思います。素人が即興で思いつくようなアイデアは……
>  私はなんら異議なんか唱えていない。「居合とはこういうものだ」ということを正しく伝えているだけですよ。皆さんの方が、居合に勝手な幻想を抱いて真実を歪めているのです。

 「皆さん」の中にはおそらく私も入っているのでしょう。で、私が居合いに対して抱いていると鰻田社会科雄さんのおっしゃっる「勝手な幻想」ってなんですか?

>  鞘の中、という制約のある不自由な体勢から、しかも片手の抜きで、両手持ちの自然な構えからの打ち込みよりも、速く刀が振れるはずがないではありませんか。野球のバットスイングと比較したってわかるでしょう。この「常識」を理解するのに必要なのは、武術の知識ではなく物理の知識と感性です。

 私の前回の発言は誤解を招きかねない部分もあったので今追記しておきます。私は真剣を片手で振ること自体を非合理的だとは思っていません。片手で持って振った方が遠くまで届きますからね。その一撃で相手にダメージを与えられるならまったく問題有りません。ただ、互角の剣士同士の立ち合いでは「全ての瞬間で片手持ちしか出来ない二刀を持った剣士」は「その場その場で必要に応じて片手持ちと両手持ちを切り替えられる一刀を持った剣士」よりも融通が利かないだろうと思っているのです。
 とはいえ、「普通の剣士は二刀流の剣士と戦うことを想定しての鍛錬が不足している」「二刀流の剣士は一刀を持つ剣士と戦うことを想定して鍛錬している」という状況ならば、二刀流の方が有利になり得ますね。左投手が左打者に対して比較的有利なのと同じ理屈で。

> >「相対性理論は間違っている」などと唱える人たちと同じ間違いを犯すことになりますよ。
>  まあ、その喩でいくならば、相対性理論に過剰な期待を抱き「過去へのタイムトラベルだってできるんだ」と言っている無邪気なSFファンに、「そうじゃないよ」とたしなめているのが私、でしょうか。

 たとえて言うなら鰻田社会科雄さんは、飛行機の実現以前に「空気より重い機械が人を乗せて飛ぶなんて不可能だ」って言ってしまった人ですよ。自分の知識の範囲内では不可能だとしてもまだ他の理が有るかもしれないのに、うかつに断言してしまったあたりがそっくりです。その人も「鳥がどうやって飛んでいるかを知らない」という事さえ自覚していればそんな断言しなくて済んだんですけどね。

No.17817 - 2004/03/18(Thu) 08:20 [airh032127194.mobile.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / くむ 引用

常磐城さんへ
この間は質問にお答えいただき有り難うございました
それにしても、その先生のお知り合い、何しに試合に参加したんでしょう?悪質な迷惑行為だと思います
安全の方策を施し、それを妨害するのを反則にとるのは当たり前なのであって、それについて、実戦ならどうの、と反則するのは馬鹿です
最初から出なけりゃ良いので正直、怖いというより大人気ないなあ、としか思えません
そういう実戦観には、どんなに強くても共感出来ないというか反感もっちゃいます
常磐城さんはそんな変な人にならないで下さいね

>生き残るために、瞬間的に相手を倒す方法を判断して実行できるのなら、その人がやったのは、まごうことなき『武術』です。
違いますよ。その理屈じゃ肉食動物は武術家という事になっちゃいます
人間は理性の元にきちんと判断力を働かせてこそ「武術」です
常在戦場等とも言いますけど、相手の力量や状況を理解せずに闇雲に最短行動を取るのは武術じゃありません
命がけの状況なら、ズルも有りでしょうが、ズルする事ばかり考えていると技の質は落ちますよ。倒せば何でも良しなら、今時武術なんてナンセンスです。

ぺいりあんさんへ
人体というレースサーキットを最も速く走る為にライン、コーナリング、アクセルワーク、ブレーキングを綿密、厳格に行うのが、居合や武術だ、と言いたいわけです(スピードだけを重要視してるわけじゃないですが)
普通の人は道なりに走ってアクセルもブレーキも行き当たりばったりです。少し気の利いた人はインコースを取って走るでしょうしアクセルやブレーキも丁寧になるでしょう。そういう人達から見たら武術家はスピードを落としたはず、アウトコースに膨らんだはず、と錯覚するかもしれません。錯覚して油断してくれればそれはそれでOKですけども、錯覚させる為の技術では無い、という事です
もちろん駆け引きと言うのは有るわけで引っ掛け、だましの技も有るでしょうが、それは枝葉末節というものです

ロディマス・ごんべいさん
>どうしてもピンときません。
その件で私、質問をしましたが、どういう状態だったか正確には解りませんでした(^^;私が質問に掲げた例(当時のログ参照の事)では1〜3は直接には立ち方は関係ありません。4は基本的に不可能です(全く動かず、手も出さず、届くはずの手が触れないと言う条件、つまり、どんな立ち方だろうとじっと止まっていて他人を制する事は物理的に不可能です)但し、敗勢は取ってはならない(囲碁で言う着手禁止点)等の条件が有れば、相手に触れず、触れさせないと言うのは可能です

ただ、立ち方というのは基本と言うか前提条件なので、きちんと立てたということは動く準備が出来た、という事になり、重心を移し直す等余分な動作をする事無く動け普段間に合わない行動が間に合った、という様な話でしょう

>全身の力を抜き、殴られても痛くない…
太極拳の鄭曼青なんかが映像残してますね、アメリカでのデモンストレーションの映画
・殴られた部分で力を受け止めようとするから痛いので、その力を全身に分散させる、全身で受ける、身体の中で受け流す
・一点で受けるからダメージが大きいのであって点でなく面で受ける、相手の一点を広い面で受ける
・相手の打撃のエネルギーを利用する
どれも似た様なもんなんですが、全身をリラックスして身体をイメージ的には均質化しておく必要が有ります、実際は細かな全身連動なんですけど力がどこかに入っているとそこだけ運動が出来ないので台無しになってしまうのです
別に打撃があたっても困らないようにするだけで、あたるのを前提にしているわけじゃ有りませんし、筋肉が少なくて柔軟性の無いところ(頭部等)に当たるのは避けるべきです

No.17818 - 2004/03/18(Thu) 09:40 [PPPax170.tokyo-ip.dti.ne.jp]

打撃とは / ジス [関東] 引用

>ロディマス・ごんべいさん
> 全身の力を抜き、殴られても痛くない…

 殴られても痛くないなら、それは何かがおかしいです。
痛覚を麻痺させているわけではないでしょうから、何か他の技術を使っているはずです。

 まず、攻撃にもおおざっぱに言えば「相手の肉体を破壊するための攻撃」と「相手の動きを制するための攻撃」があり、後者は「最小限のエネルギーで最大の痛みを感じさせる」方法などがあります。

 人体は全般的に言えば重要な器官ほどわずかな衝撃に対しても強い痛みを感じるようになっています。しかし、それも実際にはそれほど厳密ではなく、かなりばらつきがあります。ですから、攻撃する方は出来る限り痛みを感じやすい攻撃方法を選ぶのが効率的なわけです。

 逆に言えば、どのような打撃を受けると人体が壊れやすいか、どのような打撃を受けると痛みを感じやすいかを知り尽くしていればそれを避けた受け方をすることができます。

 また、人間の痛覚は総じて過敏気味です。要するに打撃に対して必要以上に反応してしまう傾向が強いわけです。そしてこの傾向は鍛錬によってある程度調整出来ます。
(しかし、痛みを感じないようにしてしまうのはたとえ可能だとしてもすべきではないですね。)

 それから、攻撃の有効性を受ける側で変える方法として、拳による攻撃で有れば柔らかいところ(よく使うのは腕や足の筋肉)で受けるとか、息を吸っている時のみぞおちへの打撃は吐いている時より痛いなんてのもあるし、わかってて受け止めれば不意打ちよりまし(つまり無意識でも、そして素人でも最低限の防御はできる)とか、正しい角度で打ち込めば効果が倍増する場所があるとか、そのための技術はいろいろあります。それでも殴られて全く痛く無いってのは考えにくいですね。たえられる程度に痛みを押さえることなら出来そうですが。

 居合いが攻撃をあてるための技術だとすれば、あてた攻撃が最大限の効果を発するための技術もあるし、攻撃を受けても最小のダメージしか被らないための技術もあるわけです。私はその中のほんの一部を知っているだけですが、それでもその全体像が私には一生かけても習得できないほど膨大なものであることだけは理解できました。また、習得するために苦労するほどの価値があるものではないという事も。

 戦うための技術なんて、習得のために貴重な時間を使う程の価値はないですよ。片手間でそんな事をしているほど私の人生は長くありません。

 それでも、その道の第一人者になることや、伝統の技術を受け継ぐことや、受け継いだ技術を後進に指導することや、あるいは新たな技術を編み出すことは価値有ることだと思います。そのために一生を費やすことは無駄だとは思いません。それにそういう生き方に憧れが有る事も否定できませんし。

 話が変な方向にそれてしまいました。すいません。

No.17821 - 2004/03/18(Thu) 11:08 [airh032127153.mobile.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / にま庵 引用

なんとなく、わかりかけてきました。

つまり、「竹刀剣道」が想定している「実戦」は、あくまで「竹刀剣道というルールのもとで行われる実戦」であって、「刀での戦い全般という意味での実戦」ではない。

「竹刀剣道の範囲での実戦」では、確かに居合は不利である。
#道具がそれ向きになってないとか、居合の技術は剣道のルール上反則になるとか
しかし、「刀での戦い全般という意味での実戦」において、竹刀剣道の範疇外にある居合道が、竹刀剣道より優れているとか劣っているとかは、一概には決められないはずである。

失礼ながら、鰻田さんはこの辺を勘違っておられる気がします。
「竹刀剣道は、刀での戦い全般のシミュレーションである」という前提に立っているから、「竹刀剣道に取り入れられなかった居合は”実戦的”ではない」と主張されているような。
つまり、「実戦」の定義が根本から違ってる(間違ってる、ではなく)のではないでしょうか。

居合道が、素人目に実戦的に見えない理由のひとつとして。
「居合道の試合」というのが「人と人が切り合う試合」じゃない(らしい)から、というのはありませんか?
なんか居合道というと、素振りとか巻き藁切りとか、人間相手じゃない訓練と技術評価しかしてなくて、直接人間同士、居合で斬り合う形式での「対戦」をしてないイメージがあるんですが。

つまり、
「人同士で斬り合う稽古をしない技術の、どこが”実戦的”なんだ」
という、素朴な疑問が。

……居合道にもそう言う対戦形式の試合があったら、この前提条件からして崩れるわけなんですが(苦笑)。

No.17827 - 2004/03/18(Thu) 12:48 [101.suba401.attnet.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 山本弘 [近畿] 引用

 鰻田社会科雄さんへ。
 あなたが本気で発言しておられるのか、芸を披露しているつもりなのかは知りません。前者だとしたら愚かなことですし、後者だとしてもあなたの芸は不快なだけで、ちっとも面白くありません。

>何が悲しゅうて、居合いをやってない人に居合いを教わらなきゃならんのですか。

 というウルさんの発言にすべてが要約されていると思います。
 反省されないようでしたら、この掲示板から出て行っていただきますので、そのつもりで。

 なお、僕がこのスレッドを続けるのを認めているのは、これが「科学」に属する話題だと思うからです。剣道とか居合とか格闘技とかは科学的に見てどうなの、ということを話し合うスレッドなのだと。
 注意しなくてはならないのは、生半可な知識で「科学」を振りかざさないことです。世の中には、非科学的なように見えて実は科学的根拠があるということがたくさんあります。
 頭の中で組み立てた理論が現実と異なるなら、間違っているのは理論の方です。だから現実に武術を学んでいる方の発言を尊重したうえで、話を進めるべきだと思います。

(揚げ足を取られる前にお断りしておきますが、これは「私は超能力者だ」とか「私はUFOに乗った」と主張する人の発言にも耳を傾けろという意味ではありません。それらの証言を事実と認めるには、物理法則を根本的に書き換えならず、そのためには大勢の科学者が積み重ねてきた実証という、より大きな現実を否定しなくてはならなくなるからです。武術の場合は、理論を少し修正して適切なモデルを組み立てることで、現実に適合させられるはずです)

No.17828 - 2004/03/18(Thu) 13:11 [zaq3dc069d2.zaq.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ぺいりあん(palien) [近畿] [ Mail ] 引用

くむさん

>人体というレースサーキットを最も速く走る為にライン、コーナリング、アクセルワーク、
>ブレーキングを綿密、厳格に行うのが、居合や武術だ、と言いたいわけです

その点は了解しました。儂個人は命がかかっている場合に「どんな手」でも使うのが「武術」だと思っているので前述のような書き方をしました。

にま庵さん

>居合道が、素人目に実戦的に見えない

居合「道」というと厳格な人道者が・・・ってイメージになりますが、どうでしょう?
ちょっと本を読むだけでも「えらい事」をする、した武芸者が居るものです。
とある居合い流派では抜く前に小柄を投げるとかするらしいです。

あと他の剣術で「居合い」という要素が全くないという訳でもありません。
居合いに特化した流派は「抜刀」の要素を抜き出して研鑽しているとも言えます。
柔術の中に「合気」の要素があり、それを高めたのが「大東流合気柔術」であり「合気」だけに絞ったのが「合気道」だという感じでしょうか。

こんな逸話を紹介。
確か勝海舟だったと思うんですが、彼は持っている刀の鯉口を縛って抜けなくしていたそうです。理由を尋ねられて曰く「斬りかかられたら(無意識で抜刀して)斬ってしまうから」との事。
あと示現流の教えとして「打ち込みを骨の髄まで染み込む程に修練したなら立ち合いで抜く事を考えるな」というのがあるそうな。「敵と相対し交錯したなら敵は自然と斬られているであろう」って・・・これは無意識領域にまで動作が組み込まれるという事なんでしょう。
示現流なんて高々と掲げた剣でガンガンぶっ叩いてくるイメージがありますが、居合いのような事を教えてますね。

まぁ「そこまで」行くのも大変な訳ですが、無意識でやってたら逆手に取られて負ける事もあるでしょう。居合いの流派では「そこまで」も意識的にして更に技としているのではと思います。

で、またお勝手エッセイ。
我々自身は「身体が動いている」事を意識しません。「何かを取ろう」と思うだけで腕が勝手に動いて思ったものを適切に掴んでくれるからです。動作の途中で何かにぶつかったりすると意識しますが。
だから「身体を動かしている」という事もあまり意識しません。野球選手の「フォーム」がどうのこうのという話も「何処が違うやらサッパリ判らない」というのが現代の普通の人の正直な話です。

でも野球選手のバッティングフォームの腰の回転と腕の位置とか、ピッチングフォームの足の降ろし位置、肩の開き、球離れの位置とかが「数センチ、あるいは数ミリ」のレベルで違っても「結果が違う」というのは明かです。

武術における身体運用も同様である事は理屈でしょう。
現代の我々はそこまで細かく身体運用をするという事を忘れていますのでスポーツならまだしも武術の身体運用に疎く、また心理的に戦う(斬り合う)ような事から遠ざかっている面もあって見ないようにしているのだと思います。

昔の日本では「音を立てないように歩く」とか「等速度で静かに障子を開け閉めする」とか家の中でも礼儀作法に則った意識的な身体運用を求められていました。箸の使い方なんかもとても難しいものです。現在では音を立てて口を動かしながら食べようが、刺し箸をしようが叱る人が居ないので身体運用というクセが身に付かずダラダラとしている人が多くて不快ですね。

No.17831 - 2004/03/18(Thu) 14:34 [zaqd387214f.zaq.ne.jp]

Re: 余談ですが / 冬雪 引用

ぺいりさんさま。

>>確か勝海舟だったと思うんですが、彼は持っている刀の鯉口を縛って抜けなくしていたそうです。
>>理由を尋ねられて曰く「斬りかかられたら(無意識で抜刀して)斬ってしまうから」との事。
なるほど、岡田以蔵とのやりとりで言葉に詰まった背景にはそういった事情があったのですね。
岡田以蔵に「括人剣」は言いづらいだろうなぁ。

>>我々自身は「身体が動いている」事を意識しません
小学生のとき朝礼の時間に先生の「体を動かすんじゃない!」という言葉が
つらかったっす。(^^;)微妙に動くのをどうやって止めたらいいんだか。
その後部活動で「行進」をやるたびに、普通に歩いているときって
足を動かしている自覚って無いものだと実感。坂や階段の上り下りや、石を踏んだ時とかくらいしか
意識はしないですよね。
「前に歩くとは、前に倒れるのを足で防ぐことの繰り返しだ」という意見を読んだこともあります。

No.17834 - 2004/03/18(Thu) 15:00 [p803a4b.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 常磐城 [地球外] 引用

くむさんへ

その試合自体は、
『試合をする我が団体こそが、そしてこの試合のシステムが、最も実戦的だ!、型ばかりの中国武術は実戦的じゃない!、反対するやつはこの試合に出て証明して見せろ!』
というような宣伝文句だったらしいです。

そう言われて出て、実戦のつもりでやったら反則。
普通なら、そういう反則すら封じる事が出来てこそ、
例えば隙間を狙った攻撃に、上手く防具をその位置に持っていって(活用して)防具で受けてくれたら文句は言わない、
みたいなのがその人の持論でした。
その人の理論では、
『防具は、防御する為の物』
だということです。
普通、盾を使った武器試合があるとして、
ただ前に掲げているだけで、その盾を避けて相手を打ったら反則、というのは考えにくい、
打ち込んでいく側は、当然その盾をなんとか除かして相手を打とうとするし、
相手も、そうされないように盾をうまく使って相手の武器を防ぐ技術を使う、
防具を付けて行っている試合を見て、
当然その理屈で、防具を活用しているだろうと思っていたらしいです。
実際はそうじゃなかったそうで。

>ズルする事ばかり考えていると技の質は落ちますよ。倒せば何でも良しなら、
>今時武術なんてナンセンスです。

大会自体は、
防具を付けている部分以外は打ってはいけないというルールを最大限に使って、
(当たっても痛くないので)
中国武術の基本の姿勢(正中線を守る)すら取らず突進して戦った、大会の主催会派の人間が優勝しました。
ちなみに、その団体、普段の稽古では、基本中の基本として正中線を守る姿勢を教えています。

>ズルする事ばかり考えていると技の質は落ちますよ。

基本をすら捨てて勝つ、これは、ズルではないんでしょうか?、


なお、同じような宣伝文句で、実戦的だと言ってオープンに試合を始めたある現代武道(精神性を重んじることは当然)が、そこに現代空手道の連中が出たら、
空手勢の、試合ルールに則った攻撃すらも、反則に取ったりポイント取らなかったりしていたそうです。
(それでも空手ばかりが優勝してしまうので、ルールを空手に勝てないように変えてしまいましたが)
逆に、空手でも、オープントーナメントをうたっている団体に別団体が出ると、
同じようなことが当たり前にあります。

>怖いというより大人気ないなあ、としか思えません
>人間は理性の元にきちんと判断力を働かせてこそ「武術」です。

現代の、精神性を重んじる武道でも実状はそうではないです。

くむさんが思うだろう事は、とても正しいと思います。
あえて言えば、
>そういう実戦観には、どんなに強くても共感出来ないというか反感もっちゃいます
初めて話を聞いた当時、全く同意見でした。
『あこがれ』を持って入った人間としては、聞いていて、いや〜な気分になりました、
(私としては、小説で読んだような、品行方正な厳格な人間が武術家だと思っていましたので、)

しかし、時々ぽつぽつと、詳細を先生が話してくれて、前述した内容の意見に変わってきています。

また、くむさんの意見が、全て非の打ち所のない真実なら、何処にも戦争は起きないし、テロも事件も起きません。
でも実際、人は戦いを起こして、武術が生まれた。
人の持っている闇を否定して、目を背けているわけにもいきません。
武術は、人間の闇の部分そのものですから。
実際は、武術に関して、もっとドロドロした部分も耳にしています。
技についても、人についてもです。
先生は、
「精神性をどうこうと言って、馬鹿正直な事をやって、弟子が殺されたら、誰の責任だ?、自分が死ぬのは自分の責任だが、俺が教えた事が原因で殺されたら、俺に確実に責任の一端がある」
と言っています。

実際、先生と交流のある護身術の先生(最近有名になって雑誌でも幾度か紹介された人ですが)
現代武道の有段者等(何年も練習して居る人)が多く体験入門してくるそうですが、
暴漢なぞ軽くやっつけられる、と自信満々なのが殆どなのですが、
暴漢がナイフで襲って来たという設定で、護身術を教えようとして、まず、どれだけ対応出来るか見ようとするそうですが、
条件は、素人レベルのナイフ技術で限定して斬っていく、
使うナイフは段ボールを切って銀紙巻いただけのもの。

そうしたら、全く対応できない、
現代武道の人は、かなり多くの人が(『殆ど』、に近いそうです)、ナイフが捌けず、直後にこう言うそうです
「そんなの反則じゃないですか」
最初の頃、その先生はその言葉に唖然としていたのですが、
あまりにもその台詞を言う人ばかりだったので、
教える以上、ナイフで命を落とされてもらったら困るので、仕方なく、その先生は、自信満々だった有段者にわざとこう言うそうです。
「あなたがその武道に費やした○年は、ダイソーで売っている100円商品以下の価値だ」
(その先生は練習用にそこで買った包丁をよく使うそうです)
凄い暴言で、言いたくないそうですが、それを言わないと、
いくら教えても、同じ間違いを繰り返し続けるそうです。
大概、現代武道ならどこでも護身術を教えますが、
護身術は、自分の命を守る為の物です。

>命がけの状況なら、ズルも有りでしょうが
その通りです。
暴漢からの自分の命程度、守りたいです。
私の住んでいる地域でも通り魔事件等、起きます。

武術オタの人は、この護身術の先生が誰か、気が付くと思います。
この先生、ちゃんと武術的に『立てる』し、『歩ける』人です。
この人は、護身術故に、素人が、なるたけ短期間に有る程度の効果を上げないと効果がないとして、
技を工夫しています。
(その先生曰く、代わりに奥は浅くなるけど、だそうです)
私自身は、そっちの技術の方が良く理解できますが。
刃物を相手にした技術故か、この人の護身術技術も、その根底に『脳騙し』があります。
やり方習うと、(私でも)一歩も動かずに、上体の動きだけで、腹を突いてきたナイフが、
習う前は刺さるのが、刺さらなくなりました。
「暴漢のナイフを前にしたら、足なんか固まっちゃってフットワークなぞつかえない、大概は、その場で『なんでだ!、足が動かない!』って焦る、けれどこのやり方教えておけば、少しでもパニック度が押さえられる、少しでも生き残る確率が増える」
だそうです。

No.17837 - 2004/03/18(Thu) 15:56 [ntaich051221.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ハル9800 [九州] 引用

>にま庵さん。

にま庵さんが新スレを立ち上げてくださったのですね。実は、昨日は仕事で書き込みができませんでした。自分でスレを立ち上げるようなこと言っておいて恥ずかしい限りです。

で、いきなりスレッドのタイトルからはずれるようですが、前スレでは中国拳法の話も出てきていたことですので、お許しください。
実は、中国拳法の「発剄(剄ってこの字でいいんでしたっけ?)」と言うのは実際のところ、どのくらいの威力があるのか?という疑問を以前から持っています。
昔サンデーで連載していた「拳児」では、拳を密着させた状態で発剄を出したところ、相手が痛みでひっくり返ってしまうという描写がありました。その様なことが可能だとすると、いったいどのような術理になるのでしょうか?
ご存じの方がいらっしゃったら、教えていただけないでしょうか。もっとも、奥義に関するようなことでしょうから、そう簡単にかけるものではないかも知れませんが。

No.17840 - 2004/03/18(Thu) 17:52 [ntfkok025109.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 散散満 [ Mail ] 引用

>ハル9800様

 拳を密着させた(あるいは非常に近い)位置から打撃を加えるのは「寸勁」というようですね。
 ブルーバックス刊 『格闘技「奥義」の科学』(吉福康郎・著)によりますと、寸勁は「最大衝撃力は小さいが、持続時間が長くて力の総和が大きい」というものだそうです。
 最大衝撃力が小さいのでしっかり備えていれば痛みはそれほど感じないけれど、力の総和が大きいので吹っ飛ばされるのは避けられないということでした。

No.17855 - 2004/03/18(Thu) 22:16 [crux.aitai.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ハル9800 [九州] 引用

>散散満さん
レス、ありがとうございます。「勁」って、こういう字でしたね。

最大衝撃力は小さいが、持続時間が長い、ですか。なんとなく分かるような気もしますが、やっぱりピンときません(^^;)。

マンガや小説に出てくる、超能力のような「発勁」が本当にあるとは思いませんが、本などで紹介される発勁や、ちょっと昔では骨法の「通し」など、ホントにあるのかどうか、あるとしたらどういう理屈なのかと言うことに興味があったもので、このような質問をしました。散散満さん、教えていただきありがとうございました。その本、探してみます。

No.17863 - 2004/03/19(Fri) 01:20 [ntfkok025109.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ぺいりあん(palien) [近畿] [ Mail ] 引用

ハル9800さん

発勁の術理ですが、

まず、これは身体運用の効果を最大限まで総合して相手に叩き込むものだと思って下さい。簡単には沈む力(&その反発力)である「沈墜勁」と身体を捻る力(身体各部から全体の捻りまで)の「纏絲勁」に身体自体で作用反作用を産み出す「十字勁」があります(最終的な力の運用にも使用するのだと思う)。

漫画の「拳児」を読んでらっしゃるなら、それを想像しながら。
まず立った状態から姿勢を落とします。漫画の八極拳では古式で膝を90度近くまで曲げたような状態で肘を打ち出している場面があると思います。
深く重心を落とす事で打ち出す攻撃に斜め下のベクトルがかかります。
インパクトの瞬間には下半身からの反動力(地面を踏んだ反作用の力)に腰の捻り、肩の伸ばし、肘の捻りが加わります。打ち込む方と反対側の腕を逆に伸ばすのも力学に則った身体運用です。
この威力は人間程度の質量を数メートル吹き飛ばすに充分なモノです。

儂が見よう見まねでやってもかなりな威力が出ます。漫画では飛び込むような形でやってます(勿論、飛び込みの勢いも乗る)が、上級者になれば立ったその場で、拳もほとんど動かさずに威力を打ち出す事が可能。

もっとも漫画として見栄えがするので、あーいう感じですが、実際に発勁が使える人が使うと打たれる側の反力も利用して衝撃力を全て体内に残るように打ち込んだりするようです。拳児にもモデルとして登場している蘇老師などが本気で打ち込めば、まず間違いなく相手は死にます。端から見たら超能力だとしか思えないでしょうね。

仕事上で付き合いのあった人が戦時中に中国に居たとかで発勁のレベルの低い奴を軽く当てられた事があるんですが、それでも小さめの岩をドカンとぶつけられたくらいの衝撃があった。壁を背にしているとかで固定された状態で打たれれば、戦意を喪失するに充分ですわ。

骨法というのは堀辺氏が創作した武道だったってんで(つまり古代から伝えられて来たものじゃないって事)一時期、裏で叩かれてましたが、堀辺氏自身が実力の全くない人じゃないんで微妙。
箔を付けたかったんでしょうね。

で骨法の「通し」という技術も発勁と同じ理屈です。彼が見せていた弟子に電話帳を何冊も持たせて突くというのは「大道芸」みたいなものですが。実は、あーした方があーなるのです。

No.17865 - 2004/03/19(Fri) 03:24 [zaqd38720f6.zaq.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / くむ 引用

常磐城さんへ
なるほど、大会自体も問題がありそうですね
ですが、やっぱり、その人の持論も変ですよ
安全策の為の防具を活用しちゃだめでしょ。普段そんなものつけて生活しないんだから
現実に行い得ない技は無効という論法も成り立ちますし、実戦なら、防具に逆用されない防護策は施してあると見るべきで毒針でも仕込んであったらとなれば安易に触れた人間は負け。というのも「あり」です
試合上の事故防止の為の防具と、攻撃を防ぐ活用する為の防具は違うものです。常識的に考えれば前者であり,参加者が勝手に後者だと思って暴れたらやはり暴れた方に非が有ると考えます
想像して下さい、試合の無い古流なんか、と馬鹿にする現代剣道家が居たとして、それに義憤を感じたからと言って、面やら胴を掴んで引っ張り回したり、竹刀を防具の隙間に突っ込んでひき倒し殴りつけたりという行為…違うでしょう、やっぱり。

>基本をすら捨てて勝つ、これは、ズルではないんでしょうか?、
ズルですね。本末転倒です。そんな試合しててその人の武術が向上すると思います?そんな勝ち方を許している大会の姿勢は多いに疑問です
ルールとしたって防具をつけている部分以外は打ってはいけないのなら、防具を打たれたら負けor減点になるようにしなきゃいけませんわな。
だからといって勝手に持論に基づいていい理屈にはなりません

他人の土俵でその矛盾をつくなら、相手のやりように沿って自分の正しさを証明した方が望ましいでしょう
例えば、この場合、ルールには従う。自分は実戦を想定している以上相手には一切触れさせない(少なくとも拳、肘、脚等の攻撃部位)、その上で相手の急所を寸止めなり、軽く触るなりして時間一杯翻弄する
これなら実戦を標榜しながら事故防止防具に頼って基本がおろそかになっている事が指摘出来ます、何よりやられた人間が悟ると思われます
無論、より技量を要求されますが、これなら、凄いもんだと,素直に感心しちゃいますね。実力の有る方にはそうあって頂きたいと思います

>武術は、人間の闇の部分そのものですから。(中略)確実に責任の一端がある」
違います。闇が際立って見え易いのは確かですし、無視出来るものでは有りませんが,光の部分もちゃんとあります。
馬鹿正直になれ、と言ってるわけじゃありません。高い精神性を持つ事と馬鹿正直でない事は矛盾するものでは有りません。異常者が武器を振り回してたら、その辺の放置自転車投げつけるのもいいんです。でもたかだか口論位で自転車を投げつけてたら異常者はどっちか,という話です。
いざとなれば自転車でも看板でも利用する臨機応変さは心得としては重要でしょう。ナイフを持った相手に簡単に冷静を保てない事を自覚し、護身術を習うのも良い事だと思います。ただ、それは別に功夫とは直接関係ないし、試合で実践する様な事では無いと思うんですよ
「品性が疑わしい人物に優れた技を伝える名人は居ない」と私はそう教わりました。「やな奴」「危険な奴」に真剣に大事な事を教えてくれる人は居ないわけで、勉強したけりゃ先に人格を磨かなきゃって話ですから、難しくて実践出来てるとはとても言えないんですが(T-T)

スレの本題、科学的な考察から話がずれてました、取りあえずこの話はここまでにいたします

すみません、ちょっとだけ思い出した事が有りますので補足
10年以上前にある名人について、散手大会に参加して反則負けになった,という話を聞いた覚えが有ります,記憶の限りでは似た様な話なので同じ人の事かも知れません
私は今まで確信犯的に反則を犯した前提で話をしていましたが、この方の場合は話がちょっと違います。というのも、この方、幼い頃からそれこそ出来るか死ぬかみたいな修行を続けて来た人で、剣も常に本身というほんとの命懸けを40年以上重ねた方です。
なので,この人の中には、おそらく「練習中の怪我を防ぐ為の防具」が存在しません
(せいぜい殺さない為に殺傷力の無い武器を使うくらいでしょうか)
おまけに,当時日本語は一切解らなかったはずなので、単なる勘違いによる事故的反則であった、かもしれません
もちろん,普通の事情が解る日本人が真似して良い事ではないんですが、状況によってはやむを得ない場合に思い当たりました,その点お詫びしますm(__)m

No.17873 - 2004/03/19(Fri) 15:09 [PPPax170.tokyo-ip.dti.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ぺいりあん(palien) [近畿] [ Mail ] 引用

で引き続いて身体運用の話。

ハル9800さんはブルース・リーが空手大会で寸勁を披露して相手を大きくよろけさせた映像を見た事がありますでしょうか?
軽く打っただけですが1メートルくらい吹っ飛ばされたと言ってもよいでしょう。
有名な映像なので関連番組では良く紹介されてます。テレビゲームの「鉄拳」シリーズでも見られますが(⌒▽⌒)

長年、正しい練習法を積み、修練(功夫)を重ねないと全身を統合して威力(発勁)を使うのは難しいですが、理屈は難しくありません。

体重が60kgあるなら、静止状態で相手に60kgの荷重をかける事が可能です。
図にすると90度傾いた(寝た)状態で相手に拳だけで乗っかっているような感じ。
そのような力学的状態を発生させるのが発勁です。
発勁を打ち込むと拳の面積分に両足で支えている分の圧力が発生します。
ドロップキックをかまされたのと同じような形になるので、そのまま耐える事は出来ません。

もっと上級者の事を考えましょう。自分の質量分の力を上手く身体を沈める事で引き出せたら、地面からの反発力(作用・反作用の力)を引き出して拳や肘という攻撃部位に乗せます。これは極めて短い時間で発生するので力の運用はより精密になります。足から腰、肩、腕と力を伝達して放ちます。ただ単に伝えるだけでも難しいですが、各部で力を乗せていく事でより大きい力になります。

恐らく衝撃力は軽く1トンを超えるでしょう。見た目にほとんど動いてないのに力士の張り手並みの威力が発生するのです。

これに更に打ち込みの技術が加わって相手が吹き飛んで逃げていた力を「浸透勁」という形で全部伝えきるようにするとどうなるか?
図式すると地面に寝た状態で車が垂直に上に乗るのと同じ。死にますな。

こういう事を説明しても「そんな事は有り得ない」って言う人が多いですが。

中国武術(たんに武術(うーしゅう)という方が通かも)では極めて簡単に「人間は液体の塊である」と考えてます。
煉瓦や石のような剛体を砕くならより硬い物体で強い力で叩けば良いのですが、人間はそうはいきません。

簡単な実験なので風呂ででもやってみて下さい。
水面を強く叩くと水面自体が強く反発して力を返しますよね。
(人間なら表面で力を反発し、後ろへ倒れる事で力が逃げる状態)
ゆっくり突き入れると、そのまま潜っていってしまう。
(人間なら単に押されたってだけで後ろへ倒れて力が逃げる状態)
水面に掌をつけて、微妙な加減で押すと大きな波紋が発生します。
(人間なら体液を通じて波紋の衝撃を受ける事になる状態)
これが浸透勁です。

No.17875 - 2004/03/19(Fri) 15:19 [zaqd38720f6.zaq.ne.jp]

「体が覚えている」ということ / 山本弘 [近畿] 引用

 ぺいりあんさん、こんにちは。

>あと示現流の教えとして「打ち込みを骨の髄まで染み込む程に修練したなら立ち合いで抜く事を考えるな」というのがあるそうな。「敵と相対し交錯したなら敵は自然と斬られているであろう」って・・・これは無意識領域にまで動作が組み込まれるという事なんでしょう。

 それで思い出したこと。
 トール・ノーレットランダーシュの『ユーザー・イリュージョン』(紀伊國屋書店)。脳と意識の問題についての本なんですが、その中にこんな話が出てきます。

>無意識に刺激に反応するより、行動を決意する方が時間がかかる

 ある刺激が意識に達し、脳の中に「こう動こう」と決意する電位が発生するのに、およそ0.5秒かかります。そこからさらに動作が開始されるのに0.5秒。それに対して、意識せずに反応する動きは0.2〜0.3秒程度。
 なるほど「考えるな、感じるのだ」というのはこういうことなのかと、納得したものです。
 実際、武術だけではなく、ほとんどの対戦スポーツでは、プレイヤーはいちいち「相手がこう来たからこう動こう」と意識してはいないはずです。それこそ「骨の髄まで染み込む程に修練したなら」、意識しなくても勝手に体が正しく反応する。いわゆる「体が覚えている」というやつです。
 テレビゲームなんかもそうですよね。最初のうちは「こう動こう」と意識してコントローラーを操作していますが、慣れてくると他のことを考えながらでも、勝手に手が動きます。
 おそらく達人同士の勝負では、お互いに何をやったかも意識しないままに勝っている(あるいは負けている)のでしょう。
 マンガや時代劇によくある「先に動いた方が負け」というのも、嘘じゃないのかもしれません。先に動く方、つまり「動こう」と意識しながら動作を行なう方よりも、無意識に相手の動きに反応する方が、動作の開始時刻が遅くても、結果的には相手よりも早く動けるのかもしれません。

No.17880 - 2004/03/19(Fri) 16:12 [zaq3dc069d2.zaq.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ハル9800 [九州] 引用

>ぺいりあんさん

解説していただき、ありがとうございます。地面からの反撥力を使う、体を捻る力を使う等々、あちこちで読んだことはあるんですが、今ひとつピンときませんでした。
でも、何となく(ホントに何となくですが)分かってきたような気がします。

>骨法というのは堀辺氏が創作した武道だったってんで(つまり古代から伝えられて来たものじゃないって事)一時期、裏で叩かれてましたが、堀辺氏自身が実力の全くない人じゃないんで微妙。

堀辺氏の創作だったんですか。そこまでは知りませんでした。永井豪先生はすっかり信じてらっしゃったのに(^^;)。

>ハル9800さんはブルース・リーが空手大会で寸勁を披露して相手を大きくよろけさせた映像を見た事がありますでしょうか?

いえ、多分ないと思います。有名な映像とのことなので探せば見つかるかも知れませんね。気長に探してみます。

>これに更に打ち込みの技術が加わって相手が吹き飛んで逃げていた力を「浸透勁」という形で全部伝えきるようにするとどうなるか?

きちんと理解できているかどうか分かりませんが、例えば人体の上の方に強い力を加えるとひっくり返るが、人体の中心近くに打ち込む角度を調節して強い力を加えると、地面がつっかい棒になって力が逃げない、と言うようなことなのでしょうか?

どちらにしても、長い修行によって正しい体の使い方を、体に覚え込ませることで初めて可能になる技術と言うことは、よく分かりました。ありがとうございました。

No.17882 - 2004/03/19(Fri) 17:35 [ntfkok044220.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]

少し話はそれますが / TAKO [東海] [ Mail ] 引用

 皆様こんばんは。剣術や武術については全くの門外漢ですが当スレッドの議論、楽しませていただいております。
 さて、当スレッドの趣旨と合致するかどうか不安ですが、少し書き込みさせていただきます。
 私は趣味でジャグリングをやっているのですが、初級、中級者と熟達したジャグラーとでは異なった感覚の使い方をするそうです。(私はボールやクラブは3個、あと1個のディアボロを少しできる程度の腕しかありません。)
 日経サイエンス96年1月号に掲載された論文「お手玉の科学」(原題:The Science of Juggling ,著者:P.J.ピーク、A.リューベル)によりますと、初心者のうちは視覚に頼ってボールなどを投げますが、熟達すると触覚を頼るようになる、とのことです。実際、私の場合でもあまり目を動かさないでボール等を投げますし、ひどいときには目の焦点が合わないまましばらく続けたこともあります。
 熟達者が触覚に頼っている証拠として彼らが目隠しをしてジャグリングができること(ブラインド・ジャグリングと呼ばれています)が挙げられています。例としまして、別の資料によりますと、トニー・ダンカン氏は1995年の世界大会で5分以上目をつぶったままボール3個のカスケード(基本技の1つで左右対称に山なりに投げる。軌道は∞形になる)を1度も落とさずに続けたとのこと。もちろん私にはとても無理ですが。さて、論文によりますと、熟達者は、ボールを投げる際、ボールに与えた角度や運動エネルギーのちょっとした違いが触覚によってわかるのに対し、初心者はボールの空中の軌跡を見て初めて投げたときの誤差に気づく(反応が遅れる)ため、結果として熟達者は、パターンを乱さずに誤差の修正ができるが、初心者はパターンを乱して失敗してしまうとされていました。

 ここからは私の考えですが、熟達者と初心者の違いとして、熟達者は練習の積み重ねによってより適切な感覚の使い方を身につけているのではないか(これも無意識の1つかもしれません)、というのも考えの1つとしてあると思うのですがいかがでしょうか。

No.17899 - 2004/03/20(Sat) 01:12 [eaoska051208.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 摩天楼 引用

あ、すみません。僕も武術は門外漢なんですがふと一つ気になったのでカキコします。
居合じゃないですが、拳銃の早撃ち競技は、実戦的なんでしょうかね。居合はともかく銃なら抜いていた方が絶対的に有利ですよね?

No.17900 - 2004/03/20(Sat) 03:16 [proxy01rb.so-net.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ぺいりあん(palien) [近畿] [ Mail ] 引用

ハル9800さん

>地面がつっかい棒になって力が逃げない、と言うようなことなのでしょうか?

それもあります。前述のように瞬間的に発生している力を身体全体で伝達、増幅して行くのと別の話になります。相手も達人であれば「化勁」という威力をいなす技を使うので攻防は更にややこしいみたいです。

TAKOさん

>初心者のうちは視覚に頼ってボールなどを投げますが、熟達すると触覚を頼るようになる

中国武術のほとんどの流派で「推手」という練習をします。太極拳では二人一組でお互い右手・右足を前にして立ち、手の甲を合わせて押し合いっこをするような練習です。この練習で手の甲を通じて相手の身体全体の動きと重心の移動、発勁の具合(太極拳では身体の中に力を練るような感覚で発勁を持つように指導する)を感じる為に行います。

また合気道、大東流合気柔術では「合気上げ」という練習があり、掴まれた腕を通して掴んだ側を倒すという常識を覆す動きを見る事が出来ます。これが完全に使えると何人に掴まれても全て無力化できるという技になる。

おそらく目を閉じた状態でも、この練習は問題ないでしょう。

摩天楼さん

拳銃の早撃ちは例の決闘方式の場合に備えての事もあったのかもです。
実話としてホルスターから抜かずに撃つって奴がいたそうですが、卑怯者として蔑まれたとか。

誰だったか忘れましたが曲芸撃ちの名手と言われる達人は数メートル離れた位置に置いたトランプを真横から撃って真っ二つにしたとか、地面に置いたコインを跳ね上げていって連続で5発当てたとか、投げ上げられたコインを撃ち抜いたとかいう話が残ってます。これ事実だってのが凄いですが。

構えて狙いをつけずに手先の感覚だけで精密射撃を行い得るなら早撃ちは結構、有効だと思います。ショートレンジ(数メートル)で向かい合った時に既に相手が抜いていたら負ける確率大ですね。ミドルレンジなら避ける動作も含めて互角くらい? ロングレンジなら純粋に射撃の腕によるような気がする・・・

ちなみにガバメントの神様と呼ばれる達人が居て80メートル離れた的に、長距離射撃の為の装備を何もしてない素のガバメントでガンガン着弾させます。100メートルでも当たるってんだから・・・

No.17902 - 2004/03/20(Sat) 04:19 [zaqd3872195.zaq.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 隅の隠居 [関東] 引用

 皆様、こんにちは。僕は武道をやっているわけではないのですが、この頃時代物を書かせていただいている関係上、武道、特に剣術をやっておられる方から、お話を聞かせていただく機会もあり、このスレッド、興味深く読ませていただいています。
 
 意識せず、体が反応して敵を倒す――示現流にもあるというこの考え、「後の先を取る」という表現で、剣術ではかなりポピュラーな考え方のようですね。相手が意識して仕掛けてくるのに対して、完全に無意識の状態で対応し、体が自然に動いて、気がついたら敵が倒れているそうです。倒している、ではないのですね。
 戦国時代に槍の使い手――福島正則麾下の可児才蔵だったかと思いますが、戦場での槍働きに名声があったものを、正式に槍術を学べばもっと武功を立てられるだろうと宝蔵院流に入門したところ、それまではなんともなかった戦場働きが、恐ろしくてたまらなくなったとか。それを師匠に告げたところ、「わかってきたな」と言われ、さらに修業を積んだところ、まったく無我の境地で戦場に働き、前に優る武功をあげられるようになったという話がありました。これなどは、無意識レベルで相手の動きに対応し、自然に体が動くレベルになったということなのでしょう。

 山本先生>射撃などの手応えですが、零戦の撃墜王の著作などを読みますと、敵の戦闘機と渡り合うとき、発射ボタンを押した瞬間、「当たった」という確信を得ることがあった、ということでした。音を聞いて、というものではないようでした。それまでの経験から無意識に導き出しているのかもしれませんが、武術とあい通じるものがあるのかもしれない、と思えてきます。武術としての鉄砲や、弓道などでも同じように「手応え」が、放った瞬間にある、と聞いたこともありました。

No.17907 - 2004/03/20(Sat) 09:19 [cache-tkp-aa03.proxy.aol.com]

Re: ザ・イアイドー / ヨコヤマ [東海] 引用

摩天楼様
> 居合じゃないですが、拳銃の早撃ち競技は、実戦的なんでしょうかね。
 コルトSAAなどを使った西部劇風クイック・ドロー競技は、ほとんど実戦的とは言えないでしょうね。あれは、映画のマネしているわけですから(西部劇でよく見られる低い位置に下げているガンベルトは、早撃ち演技をやりやすいよう考案された映画小道具独自のものです。ホントは腰の辺り)。銃自体も、ハンマーをコックしやすいよう改造していたり、トリガーをすごく軽くしていたりします(それ以前に、銃自体が既に実戦的ではないのですがw)。
 コンバッシューティングのクイック・ドローでは「早く抜くより、正確に撃て」なので(いくら早くても、自分の足や味方を撃っていては話にならない)、絶対的な抜きの早さは無意味ですが、自然な状態から抜いて正確に当てるまでを流れるようにできるよう叩き込まれます。実戦の場合、西部劇の決闘のように相手が目の前数メートルのところにいるとは限らないわけで、早撃ちよりも確実に的に当てられる距離まで相手に気付かれずに近づくことを重視しています。早く抜くことはついでのようなものです。
 コンバットシューティング系の射撃大会でのコースは、大抵、複数の的に如何に早く正確に当てるかを競います。無論、抜くところから始めるので、初弾抜き撃ちの早さも重要ですが、それ以上に短時間でどれだけ多くの的(動いているステージもある)を撃つかという命中精度を競うのです。

>居合はともかく銃なら抜いていた方が絶対的に有利ですよね?
 銃の場合、相手が既に抜いていたら、とにかく距離を取る、遮蔽物に隠れるのが大原則です。その上で銃を抜く、と。剣と違って、相手の動きは指一本ですから、絶対敵いません。
 相手が銃を持っているとわかっている状況なら、安全な内に、とりあえず抜いて構える。警察などでやっている映画のセットみたいな訓練コースの場合、抜いた状態で始めます(『ダーティハリー2』参照のこと)。
 最近の特殊部隊では、CQR(屋内での索敵・射撃)の場合、突入時に持っていたSMGなどからとっさに拳銃に切り替える状況でのクイックドローが重視されてます。
 

 コンバットシューティングのトッププロとなると、ベルトに差した状態の抜き撃ちでも、流れるような動きでスパッと抜き、ババババンと一連射して全弾命中というのを簡単にやってのけます(『マイアミバイス カルデロンの復讐』参照。殺し屋役で当時現役のシューターが出演しているのですが、殺しのシーンの抜き撃ちは何度観ても見事です)。

No.17911 - 2004/03/20(Sat) 11:22 [cassiopeia.aitai.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / くむ 引用

山本先生へ
>マンガや時代劇によくある「先に動いた方が負け」というのも、嘘じゃないのかもしれません
嘘じゃないかも、どころか、「後発制人」と言いまして、中国武術ではかなりの流派の戦術上の大前提になってます
フェンシングでも先に動く方にポイントが加算されるはずです
先に動いてもその動きに合わせれば相対速度はほぼ無くなってしまいますし、一旦動くと次に出来る事というのは相当に限定されます。一方相手に合わせる方は有利な組み合わせを選ぶ自由が与えられるので大変有利です
先に動かす為の誘いとして先に動く場合が有ります。何らかの反応を見て後発するわけですが(「動かない」のも,もちろん一つの動きです。)この誘いをきっちり相手に合わせられてしまうと「先発」になってしまうので,慎重にならざるを得ません
こうした読み合い、駆け引きが行われるので、同じくらいの実力の有る達人同士だと、お互い精根尽き果てるまで二日も三日も立ちっぱなしで端で見る分には何もしない、という様な事が起こります

隅の隠居さんへ
無意識のうちに相手を倒す、というのと、後の先と言うのは大分違うと思います
動きを修練によって自動化している場合,何かのスイッチで、動き出します
このスイッチが相手の殺気等になっているのでしょう
スイッチを自分で意識して入れてない,といういわば条件反射です
さらに進んだ領域に入ると、自分が何をしているか本気で理解していません。敵が居る事すら知らず,何故か無意味な、ある行動をとらなきゃいけない気がして取った行動が攻撃を受け止めたとか(この辺までは実話として)、さらには攻撃にも防いだ事にも気付かない、果ては無意識に敵意を避けるので敵が近づく事も敵になる事すら不可能になる(らしい:理屈の上では)と言う話を聞いた事があります

No.17923 - 2004/03/20(Sat) 14:04 [PPPax170.tokyo-ip.dti.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 常磐城 [地球外] 引用

くむさんへ

こちらこそ、まだ対して日が浅い上に、
先生の受け売りで言う場合も多く、
おそらく内容そのものに矛盾等、あるのではないかと。
だから、おかしいじゃないかと思われている部分も多かろうと思います。

その部分、どうかお許しください。

>ですが、やっぱり、その人の持論も変ですよ

はい、そう思います。
矛盾するかも知れませんが、私は
くむさんとほぼ同じな意見です。

ちなみに、私の通っている練習会に、
ブラジリアン柔術の、日本でも上位に入る実力の方が(今は指導的立場)趣味で通っていて、
現在の日本での柔術ルール(ジャケットマッチ?だったか)が、やはり、矛盾だらけのルールで
もともとのブラジリアン柔術の持つを感じながらも、
「でも、勝たなきゃ記録に成績が残る、世間にはそれが全てだから、こちらの面子もあるし、そのルールで勝てるように練習するよ、実際の強さで考えたら意味はないって矛盾を抱えながらやる」
だそうです。
(で、実際に高い成績をだしているからすごい。)

>「品性が疑わしい人物に優れた技を伝える名人は居ない」と私はそう教わりました。
>「やな奴」「危険な奴」に真剣に大事な事を教えてくれる人は居ないわけで、
>勉強したけりゃ先に人格を磨かなきゃって話ですから、
>難しくて実践出来てるとはとても言えないんですが(T-T)

そのあたりも、私自身の『気持ち』では賛成なんですが、


例の人は、
やくざ関係の事件に知り合いの女性が巻き込まれた時に、たった一人でその女性を助けたり等、
仁義に極めてあつい部分も持ち、
でも、実戦観は前述の通り。
そして、彼もまた今の歳(かなり高齢)で、修行のために新しく先生についている。
その先生は人格者で有名(現代の名人の一人とも)、そしてその人はその先生の信用を得て、支部をまかされたりしている。
先日その人に先生が会いましたが、実戦観・持論に変化はなく、
実戦観・持論はそうでも、品性は疑わしくなく、優れた技を教えてもらっている、ということになる。

また、合気道の神様と言われる塩田剛三翁は、刃牙の作者の取材では、
他派の人間が、礼儀正しく丁寧に、一手ご教授を、と来た所、
応対した玄関のその場で胴着を着替える暇も与えず、その場で人差し指で相手の喉をえぐり、
「若いのう」とそのままほっぽって去っていったり等、
その他の取材内容等も含めて読んでいくと、例の人とかなり近しい実戦観とその行動を取っていて、
弟子の述回でも、その弟子はそういう部分を認めつつ、同時に、人間的に尊敬する部分も非常に多い事を延べ、
実際に合気道の創始者の植芝盛平翁(名人)に当時最高段位の九段を与えられたり、

私の先生も、哲学や宗教論を語らせたら、一介の学者並の知識を持ち、
人当たりも良く、礼儀も正しく弟子にも礼儀には厳しい、
教え方も、学生に怪我をさせないように最大限の注意を払っている。
とても、例の人とは反対に見えて、でも、その人の実戦観・持論には、
「でも武術的に正しい」
と言っていたり。(とてもそういう事を言う先生には思えないのですが、ただ、何故か『でも』が付いたりしますが)

くむさんの否定する、実戦観の部分と、肯定する品性と、名人の技、そして強さが共存している様に見えます。

よくわかりませんが、その部分、中国の哲学や民族性と深い関わりがあるそうで、
「中国の哲学では(どの哲学かはわかりません)人を越えた大自然で見る、人間の思惑自体を大自然の中では小さなものだと見る。光が無かったら闇をどうやって区別して、闇がなかったら光をどうやって区別するか?、どちらを良い物として、どちらを悪い物とするか、それすらも『人の持つ差別』として『自然界の根本ではあり得ない物』と見る、中国武術はその理論で構成されている」
だそうです。

>高い精神性を持つ事と馬鹿正直でない事は矛盾するものでは有りません

くむさんの否定する実戦観と、肯定する品性を同時に持つこともまた矛盾しないのかも知れません。

私の先生の言うことですから。
私にとって名人の先生だし、くむさんの『習った』ことが『正しい』なら、
私の『習った』ことも『正しい』かもしれません。

私は、私の先生の示す方を行ってみたいと思います。
(ただ私は日本人で、人間でしか有りませんので、先生の言う自然の見方は、到達できないかも知れませんが)

申し訳有りませんが、家族がかなり具合を悪くして、ネットをやっていられない事になるかも知れません。
(今回の私の意見が遅れたのもそのせいです)
書き込みが無くなったりした場合、その関係と思ってください。
好き放題述べて、勝手に姿を消すという、大変失礼なことになるかもしれませんが、
そうなった時には、
皆様そのあたり、どうか平にご容赦ください。
(それ以前に書くことが無くなるかも知れませんが)

No.17939 - 2004/03/20(Sat) 23:41 [ntaich092151.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 隅の隠居 [関東] 引用

 くむ様、なるほど。自分で考えるに、つまりは修練の、段階の差ということでしょうか。「後の先」は、まだ自分で意識して、相手の動きに対応してスイッチを入れている段階、さらに奥義に入ると、自分を中心にした一つの宇宙に相手を取り込み、そのなかで意識もせず、相手を倒そうとすらせず、自然に相手が倒れている、さらには、それだけの腕がある相手の場合には、打ち込むことすら不可能になる……ということかな、と、素人ながら考えます。
 この段階になると、自然のなかに溶け込んで、一体化している感覚になるのかもしれませんね。
 このレベルに至った人は、手に握っているのが剣でも扇子でも、あるいは素手でも関係なくなるということでしょう。
 なんだか、考えていると気が遠くなりそうです。

No.17944 - 2004/03/21(Sun) 00:48 [cache-mtc-ab15.proxy.aol.com]

Re: ザ・イアイドー / 鰻田社会科雄 引用

ちょおーーっと待ったぁーーッッ。
 いろいろご批判は出るでしょうが、ここは、次のことを明確にしたいと思います。
 山本先生の、「相対性理論を間違っていると言う人達の…」という喩が出たところで、ちょうどいい、次のようなことを考えてみましょう。
 相対性理論は、普通人の常識から見ると、時間が遅れたり長さが縮んだり、常識はずれのことを主張するヘンな理論です。しかしながら、次の2点が成り立つことは否めません。
(1)物理学の世界の、権威ある学者は、ことごとく相対性理論が正しいことを認めている。
(2)さまざまな実験・観測データによって、相対性理論が正しいことは裏付けられている。間違っているという信頼できる実験・観測データはない。
 まあ、実際には(2)が成り立つから(1)も成り立つのであり、(2)だけで充分とも言えますけれども。
 さて、この(1),(2)が成り立つ以上、コンノケンイチ氏のような人がどんなトンデモ理論を主張しようと、信奉者がどんなに多かろうと、相対性理論が正しいことは明らかです。
 逆に(1),(2)が成り立たない場合、例えば「邪馬台国がどこにあったか?」に関しては、歴史学会でも未だ定説がありませんし、明確な物的証拠もありませんから、一見荒唐無稽に見える論(北海道にあった、とか)であっても、トンデモ理論とは決めつけられません。

 さて、私の「居合の抜き打ちが、通常の構えからの打ち込みより速いはずはない。通常の構えからの打ち込みより遅い」また、「居合の剣士も、一対一の立ち合いになれば、鞘に刀を納めたまま敵の攻めを待つようなことはない。普通に抜いて構える」という主張に対し、次のようなことを、皆さんに考えて頂きたいと思います。
(1)剣道界,居合道界の高段者、武術評論家、刀剣評論家,等々の“識者”の中で、「居合の抜き打ちが、通常の構えからの打ち込みより速い,あるいは真剣勝負で強い」などと主張している人が、本当にいるのか?
(2)過去、戦国時代なり幕末なりの真剣勝負で、居合剣士が通常の剣術の達人に勝った、という実例があるのか? また、何らかの防具を工夫しての試合、あるいは『ためしてガッテン』等テレビの実験番組でもいいのですが、居合剣士が通常の剣術と戦って勝った、という実例があるのか?
 (1),(2)ともに成り立たなければ、「相対性理論を間違っていると言う…」はきわめて不適切な喩でしょうね。 また、私が「居合」を誹謗中傷しているかのような見方も、誤りということになります。

 皆さんの情報をお待ちしています。

No.17997 - 2004/03/21(Sun) 22:42 [pl995.nas911.n-yokohama.nttpc.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ASTRO VET [関東] [ Home ] [ Mail ] 引用

> (2)過去、戦国時代なり幕末なりの真剣勝負で、居合剣士が通常の剣術の達人に勝った、という実例があるのか? また、何らかの防具を工夫しての試合、あるいは『ためしてガッテン』等テレビの実験番組でもいいのですが、居合剣士が通常の剣術と戦って勝った、という実例があるのか?

幕末の三大人斬りの一人、河上彦斎(げんさい)は、自己流居合だったそうですけど。三大人斬りということは、かなり数をこなして実戦で相手を斬ってたってことでしょうね。記録に確かに残ってるのは、、佐久間象山暗殺だけみたいですが。
ネットで、「河上彦斎」と「居合」をキーワードに検索してみてください。けっこうヒットしますよ。

歴史好き、特に幕末史好きだったら、河上彦斎の名前はたいがい知ってるはずだと思いますけどねえ。ちなみに他の二人とは、土佐の岡田以蔵と薩摩の田中新兵衛。この三人より人斬りとしての核はかなり落ちますが、人斬り半次郎こと中村半次郎・桐野利秋を加えて、最近じゃ「幕末四大人斬り」ということも多いようですが。

とりあえず、京都の霊山歴史館主任学芸員木村幸比古著「龍馬の時代 京を駆け抜けた志士群像」高知新聞社刊を参考文献としてあげておきます。

No.17998 - 2004/03/21(Sun) 23:28 [eatkyo235103.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ASTRO VET [関東] [ Home ] [ Mail ] 引用

あ、付け加えますと、霊山歴史館主任学芸員木村幸比古という人は、幕末史研究ではかなり権威のある人で、かつ本人も居合をやってますから、彼の著書に人斬り彦斎の剣術は居合だった、と書かれているということは、鰻田さんの出した条件(1)(2)ともに満たしてるんですわ。

おっと、肝心の龍馬暗殺の話ですが、同じく木村氏の著書「龍馬暗殺の真犯人は誰か」(新人物往来社刊)という本には、龍馬を暗殺したのは、見廻組桂早之助の小太刀による「抜刀」すなわち居合であったことが記されてますね。

まあ、竜馬暗殺真犯人については、木村説で決着がついたとはいえませんけど、これが事実だったら、北辰一刀流の遣い手であった坂本龍馬に対して抜刀術、つまり居合がかなり有効であったもっとも有名な事件であったといえるでしょうね。

ちなみに、河上彦斎は「るろうに剣心」の緋村剣心・抜刀斎のモデルとしてもるろ剣ファンには知られてます。抜刀術に優れているところからついた志士名が「抜刀斎」。まあ、歴史オタクサイトではないので、少しはフィクションの話も混ぜましょう。

No.18001 - 2004/03/21(Sun) 23:39 [eatkyo235103.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ジス [関東] 引用

>鰻田社会科雄さん

 相手を特定せずに「下らないイチャモンが多い」なんて言っておいて、その次の発言がこれですか。なんだかなあと思いますけど。

> (1)剣道界,居合道界の高段者、武術評論家、刀剣評論家,等々の“識者”の中で、「居合の抜き打ちが、通常の構えからの打ち込みより速い,あるいは真剣勝負で強い」などと主張している人が、本当にいるのか?
> (2)過去、戦国時代なり幕末なりの真剣勝負で、居合剣士が通常の剣術の達人に勝った、という実例があるのか? また、何らかの防具を工夫しての試合、あるいは『ためしてガッテン』等テレビの実験番組でもいいのですが、居合剣士が通常の剣術と戦って勝った、という実例があるのか?

 ご自身で「コンノケンイチ氏のような人がどんなトンデモ理論を主張しようと、」と仰るように、誰か一人が何を言おうとなんの証明にもならないんですが、それはさておき。
 真剣勝負の殺し合いでどちらが勝つかは主にその当事者個人の技量や状況やその他もろもろによって決まるのであり、それをいくら積み重ねても「居合いの抜刀と通常の構えからの真剣の打ち込みのどちらが速いか?」という一般論には持ち込めないんですよ。そして、100年以上前の殺し合いなんていう記録が正確に残される事を期待できないことに関して、「記録が残っていないから存在しない」なんて事はとてもじゃないけど言えません。

>  (1),(2)ともに成り立たなければ、「相対性理論を間違っていると言う…」はきわめて不適切な喩でしょうね。 また、私が「居合」を誹謗中傷しているかのような見方も、誤りということになります。

 一見論理的に見えるけど、その実非論理的です。それは鰻田社会科雄さんのこの関連スレッドにおける発言が一見科学を標榜していながら反科学的であるのと同じです。
 検証しない理論は単に仮説であり、仮説に仮説を重ねてもなんの証明にもならないんですよ。

 証明は「BはAである」と「BはAでない」だけで分けるとおかしくなります。その前に「BがAであるかないかは判別できない」と「BがAであるかないかは判別できる」があって、後者の中に「BはAである」と「BはAでない」があるわけで、「BはAである」を証明できないことを示しただけで「BはAでない」事を証明したことにしちゃおうのは無理と言うものでしょう。

 アルキメデスの時代まで戻っちゃうおつもりですか?

No.18002 - 2004/03/21(Sun) 23:59 [cs14307.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ASTRO VET [関東] [ Home ] [ Mail ] 引用

>  逆に(1),(2)が成り立たない場合、例えば「邪馬台国がどこにあったか?」に関しては、歴史学会でも未だ定説がありませんし、明確な物的証拠もありませんから、一見荒唐無稽に見える論(北海道にあった、とか)であっても、トンデモ理論とは決めつけられません。

いや、だからって何いってもいいってことにゃならんと思いますが。
現に「邪馬台国ハワイ説」なんてのもありますけど、これ、いくら邪馬台国の場所が特定できてないからってトンデモじゃあありませんか?
定説がないのは確かですが、主として畿内説と北九州説のふたつにまとまってはいるのであって、邪馬台国北海道説はかなりトンデモない部類に入ると思いますけどね。(畿内説・北九州説ともに、卑弥呼の墓に比定できる古墳はあるはずだけど、北海道に古墳なんてあったか?)
定説がなければ何をいってもいい、という発想は、鰻田さんがかなりトンデモの領域に足をツッコンだ発想をなさっている証拠にしか見えないのですけど?

No.18003 - 2004/03/22(Mon) 00:01 [eatkyo235103.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 鰻田社会科雄 引用

>幕末の三大人斬りの一人、河上彦斎(げんさい)は、自己流居合だったそう
>ですけど。三大人斬りということは、かなり数をこなして実戦で相手を斬ってたって
>ことでしょうね。記録に確かに残ってるのは、、佐久間象山暗殺だけみたいですが。

 ちょっとちょっと。そんな例しかないんですか? 佐久間象山は別に剣豪じゃないし、不意を襲われたのであって刀を抜き合わせたわけではないし、馬上で逃げようがない状態だったんでしょ? そんな人を斬ったって、「普通の剣術と戦って勝った」ことにはなりませんよね?
 竜馬暗殺に関しては、竜馬は刀を抜いていない状態で斬りかかられたのですから、そりゃ居合に負けるでしょう。当たり前ですよ。抜いて構えた一流剣士に、居合が勝った例があるのか? という問題なのですよ。

No.18004 - 2004/03/22(Mon) 00:02 [pl995.nas911.n-yokohama.nttpc.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ASTRO VET [関東] [ Home ] [ Mail ] 引用

>  ちょっとちょっと。そんな例しかないんですか? 佐久間象山は別に剣豪じゃないし、不意を襲われたのであって刀を抜き合わせたわけではないし、馬上で逃げようがない状態だったんでしょ? そんな人を斬ったって、「普通の剣術と戦って勝った」ことにはなりませんよね?

いや、だから、「三大人斬りのうちに数えられるくらいだから、相当数をこなして斬っていたはずだ」といってるのですけど?
佐久間象山は一例に過ぎません。佐久間象山一人を斬ったくらいで三大人斬りに数えられるわけはないじゃないですか。「確かに記録に残っているのは」佐久間象山暗殺事件だ、といってるだけで、きちんとした記録はないながらも、河上がかなりの数を居合で斬っていることは容易に想像がつくでしょう。

>そんな例しかないんですか

いや、そんな例しかないかどうかは私は知りません。鰻田さんの書き込みを見て、わずかの間に手持ちの資料で調べられるだけのことしか調べてないですから。じっくり捜せばもっと出てくるかもしれません。
鰻田さんも、河上の例を「そんな例しか」と決め付けるのは、大した根拠もなく人の言うことをトンデモと決め付けるのと同じような態度だと思います。せっかく河上彦斎の名前をあげてあげたんだから、河上のやった人斬りで、佐久間象山暗殺以外の実戦がどれくらいあるのか、それぞれどんな状況下での勝負だったのか、調べてから馬鹿にしてもおかしくないんじゃないですか?

鰻田さん、かなりこう、人の文意を捻じ曲げて解釈する方向に走りつつありますよ。自重してくださいね。

ちなみに、極めて断片的ながら、居合の開祖林崎甚助は、その居合術を持って父の敵討の本懐を遂げた、と先に挙げた「龍馬の時代」に書いてありました。この林崎という人物については、私はほとんど何も知らないので、敵討の状況がどんなものだったのかもわかりませんが、いちおう挙げておきます。

No.18006 - 2004/03/22(Mon) 00:12 [eatkyo235103.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 隅の隠居 [関東] 引用

 皆様、こんにちは。
 居合いをもって、最初から抜刀している剣術の手練れを斬り倒した記録、ということですよね。僕の記憶が正しければ、確か幕末に、薩摩の人斬り半次郎こと、中村半次郎――後の桐野利秋が、江戸に出たときに刺客に襲われ、返り討ちにした、という記録があったように思います。半次郎は示現流ですが、雨だれが軒から落ちて地面に着くまでに三回抜刀し、鞘に納めたという話がある抜き打ちの名手。そして、刺客に襲われ、ということから、相手は最初から抜刀していたものを、後から抜き打ちで勝った、というように読めるのですが、残念ながらこの対決がどのようなものだったか、具体的に語る資料を、僕はもっていません。どなたか、ご存じないでしょうか。
 状況から見て、名だたる中村半次郎暗殺を引き受けるにはかなりの腕の持ち主と思われる剣士を、抜き打ちで倒した、とみて差し支えないようにも思うのですが。

No.18010 - 2004/03/22(Mon) 00:35 [cache-tkp-aa03.proxy.aol.com]

Re: ザ・イアイドー / ぺいりあん(palien) [近畿] [ Mail ] 引用

剣術とはなんぞや? 問われて「剣にて打つ術也」と言う。

無住心剣術に夕雲という豪傑あり、弟子に指南するに
「竹刀を頭上に上げ、するすると敵に寄りて、丁と打つなり、このほか技を用いず」としたと伝わる。

まぁこういう人も居ますが。どうでしょう。

で居合いの使い手が秘術を尽くして勝ったという時に、何々という技を使って誰それ等を倒したという記録を付けるか?
当の本人たちにとっては「全てが剣術」であるのだから、正式な立ち合いにおいても結果だけが重要で「居合い」だから勝ったとか言うのは無いだろうと思われる。繰り返しますが武士は馬術から槍、弓矢、長刀から体術までを総合訓練しているのが当たり前なんです。

『撃剣叢談』に「東国の士、三間某という人が美作国津山にやって来た。居合をもって道場を構え門人を教えていたという。同時期に津山に剣客、浅田九郎兵衛という人も居た。両者は試合の約束をした。浅田の門人が『先生、どうやって居合に勝つのですか?』と問うと、浅田は「先に抜くようにさせれば良い」と答えたという。

この三間某というのが水鴎(おう・字が出ない)流居合剣法の流祖・三間(みつま)与一左衛門景延。彼は浅田の言葉を聞き「浅田は聞きしに勝る上手だ。この一言で勝負は決したようなもの。試合をするに及ばず」と津山を退去したという。

この話だと「居合いが恐れられていた」という事と「抜かせてしまえば恐くない」というような事が読みとれますな。勿論、三間の技巧は抜かされたからといってどうこうなる程度のモノでは無かったでしょうが、それでは居合剣法の信念が揺らぐと引いたのでしょう。

あと何度も言いますが抜いた相手も動くし、自分も動く。斬りかかって来られたら避けるだろうし、抜いてないのだから手を使って捌くだろう。何かの競技じゃないんだから早いとか遅いとか関係ないんだけどな。

>抜いて構えた一流剣士に、居合が勝った例があるのか? という問題なのですよ。

鰻田さん。そのままでは負けると思ったら居合いの術者が手裏剣や小柄を投げるなどすると思います。真剣勝負ではアリですから。ともかく「一流剣士」という基準がなぁ・・・

全然名も知られてない人でも達人は数多くいただろうしねぇ。
お互い名の知られた者同士の戦いは、戦場でなければ避けられたと思いますが?

No.18015 - 2004/03/22(Mon) 02:15 [zaqd38720b1.zaq.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ハル9800 [九州] 引用

なんだか鰻田さんは、「居合と剣術、どっちが強いか」とか、「抜き身と居合い、どっちが早いか」と言う話に持っていきたいようですが、お互いの技量の差もあればケースバイケースで対応を変えるでしょうから、単純に比較できるものではないと思います。同じくらいの腕前という条件を出されるかも知れませんが、それこそあまり意味がないでしょう。同程度の技量というのをどこで判断するかという問題がありますし。人間対人間なので、物理の実験のようにはいかないんじゃないですか?

それに、前スレッドでもこのスレッドでも、居合の方が強いという前提での話にはなっていなかったと思います。真剣勝負の場合、双方同時に動き始めるということも無いんじゃないでしょうか。

と、書きこもうと思っていたら、ぺいりあんさんが詳しく書きこみなさってましたね。ぺいりあんさんの書き込みがすべてを語っているように思いますが。

また、古武術の術理の話に戻ってほしいなぁと思っております。

No.18017 - 2004/03/22(Mon) 02:57 [ntfkok045090.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ぺいりあん(palien) [近畿] [ Mail ] 引用

ではではハル9800さんのご要望もあるのでオタク披露。

なぜ「居合いが有利」だとされるのか?
そもそも日本刀で威力のある斬り方をする場合に手筋が固定されるという事があります。
足捌きも結構、限定されます。上段に構えてたりすれば打ち込みの時の最終的な足の位置は判るのです。現代の剣道や時代劇を見ていると判らないでしょうがね。

流派はどうあれ抜いた状態から前方へ刀を打ち下ろす場合、足は右足を引き、左足を前に出し、左足は右足に対して90度の角度で斜めを向いた形になります。そうしないと自分の足を斬っちゃうし。

しかるに居合いでは座った状態からでも中腰でも抜刀が出来るように、実に変幻自在に動いて抜きます。流派によって得意不得意があるようですが、真下からの斬り上げでも水平の薙ぎ斬りでも真っ向からの斬り下ろしでも自由自在。どう来るのか判らない。
攻撃に際してオプションが多数選べるというのは非常に有利です。

ずばり抜く途中で一度相手の刀を受ける事をすれば、相手の方が早かろうが居合いの勝ち。
(相手の太刀筋を読めれば受け止められる)

鰻田さんは必死で「早い方が早い方が」と仰るが、日本刀の斬り合いで言えば「相手を斬っているという事は自分も相手の制空圏内に完全に入っている」という事です。
少しくらい剣速が早くても相討ちになっちゃ意味がない。

鰻田さんの言う事を別の事で考えるとライフルとハンドガンを持った二人がお互いに狙いを定めた上で「ライフルの弾速の方が圧倒的に早いのだからライフルの勝ちになるだろう」って言っているのと同じですね。

太刀筋を見切り、身体を入れる訓練はどんな流派でもしているのですから、居合いの剣速が早いからと言って相手の攻撃を避けもせずに「入る」という事は有り得ません。宮本武蔵のように片方で受けておいてから、小太刀を抜いて斬るという方法もありますが余程、膂力に優れていた上で修練を積んでないと無理でしょう。

形剣道を見れば相手の攻撃をかわしてから、いなしてから打ち込むという事をちゃんとしてます。相手と相討ち覚悟で剣速だけを頼りに斬り合う事など絶対に無いでしょう。

No.18021 - 2004/03/22(Mon) 04:36 [zaqd38720b1.zaq.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 鰻田社会科雄 引用

 居合の効用として、「暗殺剣」があることは間違いないでしょう。
 殺意なんかないような顔をして「やあこんにちは」とか言って近付き、「相手は刀を抜いていない、自分も抜いていない」状態から突然抜刀して斬りつければ、それは居合を修行している剣士の方がはるかに有利でしょう。
 私は「居合で人が斬れない」と言っているのではなく、「普通に剣を抜いて上段や中段に構えた剣士よりも、強いなどということはない」と主張しているのです。幕末に「人斬り××」と呼ばれた人は何人かいます。岡田以蔵なんかそうですよね。だけど、みんな暗殺剣ではありませんか? いきなり背後から斬りつけるような剣で、「普通の剣術の普通の構え」より強いか弱いかはわかりませんよ。
 さて、居合と普通の構えからの剣、どちらが強いかはいちがいに決められない、という意見の方が多いようです。しかし、そうだとしても長い長い剣術の歴史の中で、武蔵などの武者修行者にも、江戸時代の敵討ちにも、幕末にも、「居合が普通の剣術の普通の構え」と戦い勝ったという例(あるいは負けたという例も)が見つからないならば、それは居合剣士が「実戦では使わなかった」ということでしょう。
 例えば西南戦争における「田原坂の戦い」で、日本の歴史上も珍しい「剣VS剣」の戦闘がありました。薩摩軍が組織した抜刀隊に対し、政府軍も抜刀隊を組織して対抗したのです。薩摩示現流の薩摩軍抜刀隊と、直心影流や北辰一刀流などの政府軍抜刀隊が剣と剣で戦ったわけです。血湧き肉踊る話で小説やドラマにもなっていますが、さてこの時に居合で戦った(そして勝った)という剣士の話が伝わっていますでしょうか? 私は聞いたことがありませんが。居合を学んでいる剣士は政府軍にたくさんいたんじゃないかと思いますが?
「居合VS示現流」の戦いがなかった、ということはどっちが強かったかは証明できないわけですが、そもそも戦わなかった、誰も居合を使わなかった、ということは、そのような真正面から対決する剣術としては使えない、という根拠になるのではないでしょうか。

 なお、私は居合道,剣道,古流剣術等の大家の方の中で、「居合が普通に剣を抜いて構えた剣士よりも強い」と主張されている方はいないと思いますので、居合という武術を誹謗しているとは思っていません。

No.18024 - 2004/03/22(Mon) 07:17 [pl655.nas911.n-yokohama.nttpc.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 冬雪 引用

戦争と決闘と試合と闇討ちと喧嘩と理論と、え〜っと、他になにかあるかな?
これ全部を同列に語るのでしょうか?

>>なお、私は居合道,剣道,古流剣術等の大家の方の中で、「居合が普通に剣を抜いて構えた剣士よりも強い」と主張

居合いとか剣道とか関係なく、「この俺が一番強い」と思っている人は
ざらにいると思いますし、そうでなければ「広い世の中、俺より上の奴がどっかにいるだろうな」という
可能性の上での謙虚だと思うのですが、
「格闘技の中で一番強いのは{空手・相撲・プロレス・etc}だ」という発想法のような気がします。

No.18025 - 2004/03/22(Mon) 07:40 [p29f4b2.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ウル 引用

 鰻田さま、本当に調べられましたか?
 そして本気でおっしゃってますか?

>例えば西南戦争における「田原坂の戦い」で

 合戦であれば、剣術の巧拙以前に機動力が重要なのは当たり前でしょう。ましてや合戦は勢いを重視します。そんなところで、後の先をもって利とする居合を使うのは、ただの馬鹿じゃなきゃなんですか。

>そうだとしても長い長い剣術の歴史の中で、武蔵などの武者修行者にも、江戸時代の敵討ちにも、幕末にも、「居合が普通の剣術の普通の構え」と戦い勝ったという例(あるいは負けたという例も)が見つからないならば、それは居合剣士が「実戦では使わなかった」ということでしょう。

 しつこいですが、本当に調べられました?
 武蔵が二刀流で戦ったレベルの説話でよければ、そんな話、いくらでもありますよ。たとえば、以下のようなものがあります。
http://www2.wbs.ne.jp/~nck/suiou/suiouryuso.htm

 ほかにも始祖である林崎甚助源重信などは数々の逸話をもっています。豊臣秀吉の上覧試合でことごとく鞘の内からの一刀をもって相手を屈服させ天下無双と賞せられたとか、言われてますね。居合道の歴史の本を調べればすぐに出てくることばかりです。

 でも、こんな説話よりもぺいりあん氏の説明の方がよほどしっかりしてますし、説話のあるなしで実戦的どうこういうのはそれこそおかしいでしょう。

No.18031 - 2004/03/22(Mon) 09:06 [p24052-adsao01daikai-acca.hyogo.ocn.ne.jp]

レッドカードです / 山本弘 [近畿] 引用

 鰻田社会科雄さんへ。

 僕は前々回の発言で、このように警告を発しました。

> 反省されないようでしたら、この掲示板から出て行っていただきますので、そのつもりで。

 にもかかわらず、あなたの発言には反省の色がまったく見られません。
 このスレッドにかぎらず、僕はこれまで、あなたの発言にはずいぶんがまんしてきたつもりです。しかし、今回のように露骨に警告を無視されるようでは、強権を発動せざるを得ません。
 あなたにはレッドカードを差し上げます。この掲示板には二度と来ないでください。今後、何か書きこまれても、ただちに削除します。

No.18033 - 2004/03/22(Mon) 10:15 [zaq3dc06b58.zaq.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 常磐城 [地球外] 引用

以前書いた、黒田鉄山師範は(振武館主催)、
ヨーロッパに呼ばれて講習会を開いた時に、
同じ様な意見の人に(相手は剣道経験者)
実際にやって見せ、
何度やっても居合の方が早いのを見せて、納得してもらってから教えていくそうです。
今も練習会を開いているので、
実地で入門して、御体験なさるとかしては如何でしょう?
一応、ビデオ等でも見せたりしてはいますが、
自分で体験するのが一番かと。

一応私の先生をして、
「黒田師範の動きは真似出来ない」
と言わせるだけの実力があるのは間違い有りません。

No.18036 - 2004/03/22(Mon) 12:41 [ntaich086003.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]

武道と科学 / にま庵 引用

「抜いた状態から振り下ろす」方が、「鞘の中から抜き打つ」より、物理的に絶対速いはず、というのが素人目にはあります。
刀の移動距離とか、抜くための体勢とか。

だから、居合の方が「速い」としても、それは「抜き手を見せない、いつ抜いたかわからないようにするための、様々な技術によるもの」であって、単純に物理的な速度だけ見たら、抜いた状態から振り下ろすより速いわけはない……んじゃないかなー。
#もちろん、「だから居合は普通の剣術より実戦的ではない」などと言う気は毛頭ございません。
#「抜く手、太刀筋を見せない技術」も含めて「居合」であって、その中の「刀の速度」だけで実戦的か否かを語るのは、愚の骨頂かと。
#「性能的に速い車に乗ること」が「どこででも速く走ること」とイコールでないのと同じようなものか?

勝敗や優劣、強弱を考えるのでなく、純粋に「科学」の話として、「上段の構えから斬るのと、居合で斬るのと、どっちが速い」というだけの話に絞ったら、なんかトリビアな感じで面白いんじゃないかな、と。

……で。
自分の同人漫画の主人公に、まぁ何というか拳法みたいのを使わせたくて、いろいろ考えてます。
自分は門外漢なんで、詳しい友人に色々聞いたり、ここのスレッドを参照させたりさせていただいてるんですが……ちょっと詳しくなってくると、すぐ「体内で気を練る」とか「発勁をどうこうする」とかいう話になってくるんですよね。
……こーゆーこと言うから、達人レベルの拳法って、オカルト呼ばわりされて信憑性が問われたりするんだろうなぁ、と思うことしきり。
要するにそれって、物理的科学的あるいは医学的運動生理学的に言うと、人体の中でなにがどうなって何が起こって、何が溜まって何をどう放出してるのよ、と。
肝心のところが、「業界用語」でしか説明されてないんで、門外漢からするとオカルトっつーか、漫画の設定的に言うと嘘のつき放題でかえって「リアリティのおきどころ」に困るっつーか。
助走なしの垂直跳びで何mも跳び上がっちゃったり、数mの間合いを瞬きひとつの間に詰めたり、ってのをやる時に、その「数m」をどの程度にすれば「少なくとも拳法的にはアリ」で、どのレベルを超えたら「それは超能力か魔法か強化改造人間でもなきゃ無理」になっちゃうのか。
人体の出し得るパワーの限界値をどこに置けばいいのかを考えたとき、その根拠となる肝心のところが「気」云々で片づくんじゃ、いとも簡単に「何でもあり」に出来ちゃって、どうも面白くならないんですよねぇ。

なんか、「気」とか「勁」とか言っておきさえすれば、北斗神拳でも界王拳でも零式防衛術でも聖闘士でもクルダの修練闘士でも、あるいは「ジャンプしてから空中で方向転換」でも「空中ガード」でもなんでも「アリ」にできちゃいそうで。

「気」とか「勁」とかを、物理的科学的運動生理学的に考えたら、要するに何の力をどう使ってるんでしょうか?
#大地力とかオーラ力とか言われたらやだな(苦笑)

No.18038 - 2004/03/22(Mon) 13:30 [101.suba401.attnet.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / 冬雪 [外国] 引用

にま庵さま。
私も素人なのですが、逆に「抜いた状態から振り下ろす」方がバックスウィングが必要な分、
居合いの達人が「鞘の中から抜き打つ」方が早い場面もあるような気がします。
だって居合いの方が、微調整が必要とは言え一方向のみに力を使えばいいのですから。鞘がレールになりますし。
だからこそ、両者各々の「出し得るパワーの限界値をどこに置けばいいのかを考えたとき」、
この問いは意味を失うのではないか、と。
妙な引用のしかた、すいません。(_ _)

上段に構え、バックスウィング無しで、刀の重さ+力を込めて腕を下に降ろすって、
剣術では有りなのでしょうか?

「JOJO」で億泰のスタンド「ザ・ハンド」を「レッド・ホット・チリ・ペッパー」が
「弧を描かざるを得ないからスピードが」どうだって言ってましたっけ?覚えていない。(^^;)
居合いで使う刀は竹刀ほど真っ直ぐではないですけど、振り下ろすよりも
描く弧は小さいですよね。
そういうのって関係ないでしょうか?

No.18040 - 2004/03/22(Mon) 14:33 [p29f4b2.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]

Re: ザ・イアイドー / ぺいりあん(palien) [近畿] [ Mail ] 引用

にま庵さん

>「抜いた状態から振り下ろす」方が、「鞘の中から抜き打つ」より、物理的に絶対速いはず、
>というのが素人目にはあります。刀の移動距離とか、抜くための体勢とか。

儂は最初に剣速はほとんど変わらないだろうと言っておきます。
(普通に抜いても居合いの太刀筋が見えにくいのはマジシャンがコインを見えないようにトスするのと同じ理屈です)

間合いが詰まった状態から剣を「斬れる位置」にまで振り下ろす場合「間合いを最終的に調整する分」プラス「剣先三寸〜目標地点までの弧の軌道分」があります(斬る部分の重心移動は直線です)。
一方の居合いは腰の位置から抜き放つのでほぼ最短距離をほぼ直線的に斬りつけますので図に描くと居合いの方が移動距離が短くなります。四角の底辺をナメるのが居合いで対角線を滑るのが上段からの軌道。

あと居合いは身体を密着させるまでに間合いを詰める事が出来ますが、普通に斬ろうとすると最低限、肘から先が自由に動かせるだけの間合いが必要です。引き斬る事が出来なければ日本刀という剣は斬れないのです。勿論、足捌きで位置を調整しますが、計測競技をするように間合いは計れないのです。

つまり普通に上段に構えた時の「理合」の距離より、居合いによる「理合」の距離が短くて済むという事なんです。

「理合」というのは相手がどうしたら、どう対応するのかという剣術流派の各々の理屈です。という感じでいかがでしょう?

>助走なしの垂直跳びで何mも跳び上がっちゃったり、
あぁ。軽身功の達人の逸話にはありますね。空を飛ぶように移動したとか。
でも2メートルくらいまでなら手をかける所があれば・・・

>数mの間合いを瞬きひとつの間に詰めたり
歩幅分を送り足、継ぎ足で詰める分には素人でも出来ます。
後ろ足で地面を蹴って前の送りを擦って進ませれば2メートル近くまで一瞬で詰める事が可能という話。
これに継ぎ足で送り足を蹴る(弾く)ような事をすると実に3メートル近くまで詰める事が・・・

これは中国武術での足送りですが、日本の剣術でも同じみたいな感じです。儂が読み聞きした限りでは。実際は1メートル半も一瞬で(足を動かしたように見えないのに)距離を詰める事が出来れば、かなり有利な立場に立てるでしょう。

「気」はともかく「勁」は力の運用の仕方です。「気」というのは「勁」を意識しやすいように説明の為に使ったりもします。そういう場合の武術で言う「気」と「気功」の「気」は厳密には違うようです。

No.18043 - 2004/03/22(Mon) 14:55 [zaqd38720b1.zaq.ne.jp]

武道と科学2 / にま庵 引用

いいかげんこのスレも長くなったんで、新スレへ移行すべきなのかも知れませんが、スレ立て権行使したばっかりなんで私にはどうにもこうにも(泣笑)。

で。
> ぺいりあん(palien)  様
>つまり普通に上段に構えた時の「理合」の距離より、居合いによる「理合」の距離が短くて済むという事なんです。

ううむ、確かに、上段で構えてるより居合の方が「速そう」です。

では、こういうのはどうでしょう。
「抜刀して中段に構え、突く」のと「居合」では、どっちが「有利」か。

さすがに、中段から突いた方が居合よりは速そうな気がするんですが。
刀の移動距離は多分最短でしょうし。
#るろうに剣心読者的に言うと、飛天御剣流抜刀術のどの技より、牙突の方が「先に当たりそうに見える」とゆー話か?(笑)

どうでもいいひとりごと。
「武術の達人の技は妖術(オカルト)に見える」というのは、「優れた科学は魔法に見える(でしたっけ?)」のと似たようなもんかも知れないですね。

No.18048 - 2004/03/22(Mon) 17:11 [101.suba401.attnet.ne.jp]



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