山本弘トンデモ資料展
2007年度版8−A


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タイトル  マンガを読んで小説家になろう!
説明 2007
株)アスペクト
大内 明日香, 若桜木 虔
カテゴリ 和書
満足度平均
4.00点(5人)
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全レビュー *** 5件 が該当しました。
[ 1 ]
1件〜5件を表示

山本弘
レビュー
 小説のことをよく知らない人なら、この本を読んで「なるほどなあ」と納得してしまうかもしれない。しかし、僕は作家志望者にこの本を推奨しない。

 まず、目につく欠点。2人の著者の共著なのだが、どのパートをどちらが書いたかが明記されていない。部分的に「私(若桜木)」「私(大内)」と書いてある箇所もあるが、分からないものがほとんどなのだ。
 一般読者には見分けがつかないし、どっちでもいいことなのかもしれない。しかし、「ベテラン小説家の実体験」と「創作体験のない編集者の『小説家とはこういうもの』という思いこみ」には、大きな違いがあると思うのだが。
 たとえば、まず間違いなく大内氏のパートだと思える箇所(間違ってたらごめん)は、「あなたはどのタイプ?/小説家・文芸編集者・評論家適性テスト」。なぜ若桜木氏が書いたのではないと思うかというと、プロの小説家ならこんなアホな文章、書くわけないと思えるからである。

>問一「誰かに連絡するときの手段は、電話ですか? メールですか?」
>問二「新聞を読む時は、一面、社会面、テレビ欄、どこから読みますか?」
>問三「ニュース、映画、ドキュメンタリー、どのテレビ番組が好きですか?」

 まず問一だが、設問の状況が不明である。僕の場合、大事な連絡は、確実に届きなおかつ記録の残るメールにする。出先から妻にちょっとした用件で連絡する場合などは電話だが、画像を添付する場合にはメール……と状況によって使い分けている。 当たり前だ。
 著者は「電話という人は編集者向き、メールという人は小説家向き」だと決めつける。「『書かずにいられない』という気持ちが潜在意識にあるかどうかです。小説家向きの人は、なんだか字を書きたくなっちゃうものなのです」というのだ。えー、ということは電車の中でメール打ってる若者なんかもみんな小説家向きなの?(笑)
 これは偏見だろう。おしゃべりな小説家だってたくさんいるぞ。

 問二の答えは、「一面から読む人は評論家向き、テレビ欄から読む人は編集者向き、社会面から読む人は小説家向き」なのだそうだ。えー、僕、テレビ欄から読んでるけど編集者向きだったんですか(笑)。
 なぜ小説家は社会面から読むかというと、「小説に使えそうな面白いネタを探しますから、社会面から読む傾向があります」「三十八面の下の、いわゆるB級、C級と言われてる、隅っこの小さな記事が狙い目なんです」というのだ。そうかあ?
 僕はこれまで、社会面から小説のネタを拾ったことは、たった1回しかない。だいたい社会面に載ってる記事は、小さな事件、ありふれた事件が多く、ネタには使いにくいものだ。それに新聞記事というのは事件の内容をかなり要約しており、状況がよく分からない場合が多い。社会面からネタを探すのは、効率が悪すぎる。
 むしろ週刊誌の記事の方が、新聞には載らないようなネタが多いうえ、新聞よりも事件の内容が詳しく書かれていて、参考になる。ちなみに僕が新聞で必ずチェックするのは、ページ下の雑誌広告。本日発売のどの雑誌にどんな記事が載っているか調べて、コンビニや書店に行って立ち読みし、ネタに使えそうなら買う。
 あと、僕の場合、『日経サイエンス』などの科学雑誌からもよく最新の科学トピックスを拾う。もちろん、インターネットも重要な情報源だ。小説家(特にエンターテインメント作家)は、すでに起きた事件を追いかけてるようじゃだめ。「これから起きる事件」「現実には起きそうにない事件」を探さなくてはならない。
「社会面から読む」というのは、数十年前の小説指南書に書いてあったことを、いまだに妄信しているのではないだろうか。

 問三は「ニュースを好む人は編集者向き、映画を好む人は評論家向き、ドキュメンタリーを好む人は小説家向きになります」という。僕はドキュメンタリーもニュースも見るけど、どちらかというと映画が好きだけどなあ。
 だいたいこの設問って、「マンガを読んで小説家になろう!」というこの本全体のコンセプトと矛盾してない?

 この本のコンセプトを分かりやすく要約すると、

1.デビューしても、1作書いただけで小説家になれるわけではない。小説家として食っていくためには、量産しなくてはならない。多作な人は生き残る。
2.受ける小説を書くには、マンガを読んで、大衆の好むパターンを研究すること。パターン通りのものを書けばヒットする。

 1については、確かにその通りである。食っていくためには本をいっぱい書かなくちゃいけない。
 しかし、疑問がひとつ。
 量産できるかどうかより、まずデビューするのが大変じゃないの?
 本書24ページで、著者(大内氏?)は「小説家になるのは、『大工さん』になるのと同じ」と書いている。

> 実は、大工さんになるのも、小説家になるのも同じです。両方ともがんばればなれます。

 ウソである。
 小説家になるためには、まずデビューしなくてはならない。しかし、どこの新人賞でも応募総数は数百篇。つまり競争率は数百倍。有名大学合格率をはるかに上回る狭き門だ。大工さんの競争率はそんなに高いだろうか?
 新人賞に応募する人間はみんな、それなりにがんばっているはずである。しかし、そのうちの99%以上はデビューできない。「がんばればなれます」というのはウソだ。
 本書141ページでも書かれているように、新人の応募作の多くは、欠点だらけのひどい代物である。つまり「小説家になりたい」という想いと、本人の力量の間に、本人が気づかない大きなギャップがあるのが問題なのだ。力量があっても不運(作品が選考委員の好みに合わなかったとか、二次選考あたりで見る目のない編集者に落とされたとか)のせいでデビューできないこともある。
 まあ、この手のハウトゥ本で「あなたにも簡単にできます」と謳うのが定石とはいえ、「がんばれば小説家になれます」と保障するのは、無責任ではないだろうか。それでは、才能もありがんばったにもかかわらずデビューできない大勢の作家志望者たちに失礼である。
 また、「大工さんになるのも、小説家になるのも同じです」などという甘い言葉を信じてしまうと、才能もないのに「俺も小説家になれる」と思いこむ勘違い野郎が出てくる危険性もある。

 もうひとつの疑問は、「量産しなきゃ食っていけない作家って、そもそも売れてない作家なんじゃないの?」ということである(いや、僕もそうなんだけどさ……)。
 有名作家は量産なんかしなくていい。1年に1本とかのスローペースで出版しても、充分に食っていけるのである。羨ましい話だ。
 つまり年に何本も「量産」するというのは「売れない」結果なんである。量産せずに食えるなら、それに越したことはないのだ。
「量産」を重視するというのは、最初から「売れない作家を目指せ」と言っているのと同じである。そんな目標低くてどうするよ!? もっとでっかい夢見ろよ!

 さらに言うなら、「量産」というのは一種の才能である。その才能がある人とない人がいる。
 若桜木氏は一日に100枚以上書くというし、同じぐらい早く書ける作家も何人もいる。しかし、大半の作家はそんなに早くは書けない。1日に平均10枚も書ければ充分である。(それでも2か月あれば長編1冊書ける)
 僕の場合、1日に40枚書いたのが最高記録で、この時はさすがにへばったうえに、文章も荒れたので、二度とこんなスピードでは書くまいと心に決めた。
 才能は先天的な要素が強く、容易にはまねできない。あなたに量産の才能がないなら、若桜木氏のまねをするのは困難である。無理せずに自分のペースで書くのが良い。
 読者が望むのは、作品の書かれたスピードではなく、作品の出来なのだから。

 僕が思うに、小説家という職業は、大工さんではなく金鉱掘りである。
 一獲千金を夢見てこつこつと鉱脈を掘る。今度こそ一発当ててやるぞ!……と思っても、しょぼい儲けにしかならなくてがっくりすることも多い。当たらなくてじり貧になり、一文無しになる恐怖と常に背中合わせである。それでもいつか大きな鉱脈を掘り当てることを夢に見て掘り続ける……。
 単に食っていくだけなら、僕は小説家なんていうリスキーな職業になることをお勧めしない。サラリーマンになって地道に働け、と言いたい。
 小説家は食うためになる職業ではなく、どうしても小説家になりたい者がなる職業だ。

 2についても疑問がある。
 確かにパターンを研究するのは大事である。僕もマンガやアニメのいろんなパターンを収集している。しかし、それはパターン通りのものを量産するためではない。「このパターンは使い古されてるからもうやめよう」と反省したり、「このパターンをこう変えてみたらどうなるだろうか」と、新たなネタをひねり出すためだ。
 著者たちはどうも「オリジナリティ」という概念を蔑視しているようで、ヒット作のパターンを参考に書くことを推奨する。しかし、著者たちがヒット作の例として挙げる『DEATH NOTE』にしても、「名前を書くと人が死ぬノート」という幼稚な発想を幼稚なまま終わらせず、真剣にシミュレートしてみる……という一種のパターン破りから生まれた作品ではないのか? それがオリジナリティというものではないのか?
 さらに重大な問題は、著者たちが推奨するようにパターン通りの作品を書くと、そもそもデビューできない可能性が高いということである。
 なぜなら、編集者にせよ、新人賞の選考委員にせよ、新しいものを求めているからだ。「これって『DEATH NOTE』の焼き直しみたいな話だよね」などと思われたら、それだけで評価が下がるだろう。

 あと、週刊誌の連載マンガという、数十万〜数百万の読者の目に留まることを想定しているものと、せいぜい数万人単位の読者を相手にする小説は、同列に論じるのは無理がある。
 たとえばミステリやSFはマニアが多いので、そうしたマニアのための作品――最初から狭い市場を想定した、一般読者には理解しづらいマニアックな作品というものもある。そしてマニアは目が肥えているから、オリジナリティのない作品なんか見向きもしない。
 狭い市場を対象に、しこしこ書いてゆく作家を目指すなら、逆にマニアをもうならせるオリジナリティあふれる作品でなくてはなるまい。

 また、これは著者もちゃんと書いているけど、マンガだけ読んでいても小説は書けない。特に文章力は、多くの小説を読まないと身につかないものである。マンガを読むのも大事だが、小説もちゃんと読もうね。
 大事なのは、傑作だけでなく、駄作もたくさん読むこと。これは別に努力は要らない。小説でもマンガでも映画でも、たくさん読んで(観て)いれば、自然とたくさんの駄作にぶつかる(笑)。
 その際、単に「あーあ、つまらなかった」では終わらせず、どういう理由でダメだったかを分析してみること。そして、自分が小説を書く際には、同じ失敗をやらかさないよう注意すること。駄作を反面教師にするのである。これだけで、駄作を書いてしまう危険性はおおいに減らせるはずである。

 本当は星2つぐらいの評価が妥当なのだが、この本を読んでいて、今書いている小説に使えるネタ(もちろん反面教師として、ですが(笑))を見つけたもんで、その感謝の意味をこめて、星1つ増やした。
 
作成日時
2007年05月02日 17:09
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yohey
レビュー
まあなんつうか若桜木虔氏の二枚舌にはほとほと呆れ返るばかり。

彼の著書「プロ作家になるための40カ条」で散々オリジナリティーのない作品は評価の対象にならない、ゴミ箱行きだとまで言い切っていたのにこの本では「作家にオリジナリティーは必要ない」と来たもんだ。

なんなんだそれは・・・。

ライトノベルも純文学も、コンペでその筋のプロの目に晒される度合に何ら変わりなんかない。仮にもしパクリ満載の漫画「TO LOVEる」そっくりのライトノベルがコンペに送られてきて、それが選考を潜り抜けられると思うか?

出版社だってプロなんだからね・・・。そんな上手いように行く訳がないでしょ。あまりコンペに詳しくない中高生に悪い夢を見せて煙に巻くのはよした方がいい。

マンガを読んで書かれた小説は、あくまでも自分のスキルアップのためだと割り切りましょう。間違ってもそれで本戦を乗り切れるなどとは思わないことです。
作成日時
2007年05月09日 14:32
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関口雅弘
レビュー
本書の元になったのは、2006年の10月9日に新宿ネイキッドロフトで開かれた同タイトルのトークショー。大内の話に対して、若桜木がコメントしていくというもので、本書の原稿の大部分は、大内の意見と考えた方が良い
本書の主題は、小説に限らず全ての物語にはパターンとバリエーションがあり、それを漫画から学びましょう、ということ。
物語にパターンがあるという話は、過去から言われて来たことである。構造主義の中でも神話や昔話をいくつかの構造に分解していたし、最近ではそれを主題にした大塚英志「物語の体操」(朝日文庫)、「キャラクター小説の作り方」(角川文庫)などがある。では本書のウリは何かと言えば、その構造の学び方を、既存の小説ではなく漫画に求めた所にある。学びやすさというインプットの面からも、それによって出来た作品が映像化しやすいというアウトプットの面からも、漫画にパターンとバリエーションを学ぶという意義は大きい。
もう一方のバリエーションは、超目的、ウリ、キャラ、世界観の4つで、確かトークの時には、パターンは4つの黄金パターンからさっくりと選んで、バリエーション、特にウリについて時間をかけるように言っていたと思うのだが、本書の構成を見ると、パターンがあるんだ、ということにページが割かれてしまっているので、そっちが主題になってしまっているように見える。それが、余計な誤読を生む原因の一つか。
パターンとバリエーションのどっちが重要かと言えば後者であろう。本書の共著者である若桜木は、「新人賞を狙える実戦講座」(雷鳥社2007)の中で、p30「極めて荒っぽい選考を行う場合には既視感のある話(<どこかで見たぞ>という印象を与える話)は、容赦なく落とします」と言っている。冒頭に書いたネイキッドロフトでのトークショーは2回行われており、もう1回は「全てのオタクは小説家になれる」というもので、オタク知識がウリになると言っていたから、ウリを含むバリエーションについては、続編で書くのかもしれない。
作成日時
2007年05月05日 16:36
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タツロー
レビュー
小説家になる、ならないは別として、非常にためになる本。
何事も熱意とやる気が重要なんだ。
書かなければ始まらんというわけだね。面白かった。
作成日時
2007年04月30日 07:31
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ドラゴン山崎
レビュー
小説の書き方、小説家へのなり方を解説したきわめて実戦的なHowTo本。ある意味で、村上隆が主張する「ビジネスのための芸術」に近い主張ともいえる。

小説に限らず、物書きは数をこなさなければ食って行くことは難しい。だが。数を書くための技術、すなわち多作のためのノウハウは、これまでほとんど顧みられることはなかった。なんともなれば、プロの小説家でさえそうした技術を身に付けていない人が多いのだから、当然といえば当然のことではあるのだけれど。

本書の最大の功績は、既存の「小説の書き方」で無視され続けた多作のための技術に焦点を絞って書かれているところにある。

この本のテーマである「マンガという小説とは異なるメディアにこそストーリーは学ぶべき」という主張はきわめてもっともな話だ。マンガは絵、吹き出しの台詞、擬音などの演出、コマ運びによって、ストーリーをビジュアル的に見せるメディアである。たしかにストーリーの作り方を学ぶなら、文字によるメディアよりもマンガやアニメ、映画の方が適しているという考え方は理にかなっている。

たしかに、この本から学んだテクニックでは歴史に残る文学大作は書けないかもしれない。でも、「今書店で売れているベストセラー」を書きたければ極めて有効な内容ではないだろうか? 小説家を目指す人だけでなく、マンガ原作、アニメ脚本、ライターを目指す人必読の一冊。
作成日時
2007年04月06日 00:31
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